日ソ親 善協会名古屋連合会準備会ニュースNo.2 1950315

日ソ親 善協会名古屋連合準備会 電 東三六三九

名古屋 市東区堅代官町二五

 

フランスのレヂスタンスと淡 徳三郎氏

 第二 次 大戦のとき、フランスにおいて、売国奴ペロン大統領の下にフランス人民は負けたのだから仕方がないと卑屈な、無気力な、ちょうど敗戦後の日本と似た様な状 態におちいり、ドイツファシストの隷属に甘んじ、中には敵にスパイする者もあったが、然しやがてフランス人民の間に長く培われてきた民主主義の精神はドイ ツ人の圧政を体験するにつけ次第に呼び醒まされ、ドイツファシストの植民地政策に抗しフランスの独立と人民解放のため、英雄的な抵抗(レジスタンス)運動 をまきおこした。

 ドイ ツ人一人を殺したら五十人のフランスの愛国者が銃殺されるという言語に 絶する断圧の下に、フランスの人民は勇敢に闘った。そして、第二戦線の結成と共に連合国軍がフランスに上陸するやこれに呼応して、一斉にホーキして忽ちド イツファシストをせん滅しフランスの独立は一応恢復された。

 だ が、今やフランスはドイツファシストに代わって、新たに国際独占資本のレイゾク下におかれている。第二次大戦の最中に始まったレヂスタンスは、今もなお、 新たな様相をおびて展開されつつあるのだ。

 淡徳 三郎氏は曽てクラウゼウクツの戦争論の名訳あり、人民解放の闘士としても知られていたが、第二次大戦の始まる前からその末期にかけてフランスに数年間滞在 し、親しくレヂスタンスの運動を目撃され、大戦末期に日本への帰途、ソヴエトに抑留され、捕虜としてソヴエトの生活も体験してこられた人である。

 帰国 後 は「三つの敗戦」「抵抗」「解放」「パリコンミューン」等の著書あり、ラヂオの放送討論会や新聞の座談会にも度々出席され、筆に口に縦横の活躍をされつつ あることは等しく人の知るところである。

 来る 十八日、フランス人民の歴史的解放闘争の記念日に、親しく淡氏の講演をきく機会を得たことは、時節柄極めて有意義であり、本会にのみならず広く憂国の士の 来会を待っている。

 

フランスのレジスタンスについて

論壇の花形 淡 徳三郎氏来る

三月一八日ツルマイ 於 労働会館

    午後1時  午後五時半 二回

映画 コーカサスの花嫁

コーラス 名古屋青年合唱団

パリコンミュンとは

 来る 三 月十八日はパリコンミュン記念日である。一八七〇年に始まった普仏戦争でナポレオン三世はプロシヤ軍の捕虜となったが、フランスの民衆はあくまでプロシヤ 軍に抗しブルジョア階級を中心とする新政権を樹立して闘った。

 だが こ の政権は民衆のもりあがる解放の意欲を抑えるため、次第に敵に対し妥協的となり、戦意を失い、反動化した。

 パリ の 労働階級は今から七十九年前、一八七一年の三月十八日、一斉に起って反動ブルジョア政権をヴェルサイユに追放し、自分たち自身の政権を樹立した。このパリ コンミューンは歴史上初めての労働者階級を中心とする政権として、その後のロシヤに於けるプロレタリヤ革命の先駆をなすものであって、労働階級の偉大な創 意を発揮し、約二ケ月に亘ってその政権を維持したが、統一的な指導部を欠き、重大な誤謬を起したため、遂に敗北し、四万人に上る労働者が銃殺され、未曽有 の大弾圧を受けたのである。

 レー ニ ンはこのパリコンミュンの意義をきわめて高く評価し、テッテイ的にこの経験を学び、今日の偉大なソヴエト政権樹立のための闘争に、あますことなくとりいれ たのである。

 

中ソ友好同盟条約について

 ソヴ エ トの外交政策は一九一七年の革命の時から一貫している。それは世界の人民の一切の抑圧と搾取から解放するため、あらゆる手段をとるということである。

 絶対 に 他国を侵略しないが、又、絶対に他国の侵略をも許さないのである。それが今度の中ソ友好同盟の中にもよく表れており、たびたびラヂオや商業新聞ではコジツ ケのデマをとばしているが、現在、着々軍事基地化されつつある日本に対し、その背後の勢力に対し充分のケイカイを行うことは当然であり、又、中国とソヴエ トの関係は相互に独立を尊重し、有無相通じて、全く相方の人民の利益のために万事が行われていることは明瞭である。外国の援助をうける場合、それはどんな 目的の下に、その階級が受けるかを充分見究めなければならない。われわれは今後ソヴエトの実情と共に中国の実情について大いに関心を持ち、中国の人民とも ますます親しくしてゆくようにしよう。

 

すばらしかった帰還者楽団

感激のあまり泣けてきた

 帰還 者 楽団大演奏会は去る二月十七日、押しかけた労働会館始まって以来の聴衆が通路まで埋めつくし、開場へ入り切れない人々は入口に机を並べその上に立つまでの 盛況裡のうちに行われたが、アンコール、アンコールの連ぞく、舞台も聴衆も一つになって手拍子をうち、終了後も聴衆は立ち去ろうともしないありさまであっ た。

 ロシ ア 文学の権威、熊沢氏はその感激を次の様に語られた。

 「全 く すばらしい、僕はみていて、涙が出て来て仕方がなかった。この感激は楽団の人たちがヂカにソ同盟で身につけてきた健康な新鮮さがあの演奏をとおして、私た ちを打ってくるのだ。

 小手 先 の芸では決してない。

 あの 人 たちが心からたのしくニコニコ笑いながら舞台に立っているそのこと、その身体中からにじみでてくるもの、それが職業的楽団には技術的には及ばないが、それ らには決して生み出すことのできないこのすばらしい感激をよびおこしたのだ。なにしろすばらしい」

 

これが働く私達の本当の姿

ソ同盟生活写真展報告

ソ同盟 生活写真展は本紙第一号で紹介以来好評をよび、各サークルで次々とひらかれているが、その一、二を紹介しよう。

 大隈 工 業荻野工場では、折からうららかな春日和のひるやすみ、工場内の広場で行われた。広場のまわりの柵にギッシリはられた写真。まん中の長机二つにはソ同盟の 美しいざっしが並べられ、昼食をすませた人々は互いに誘いあいながら会場へとやって来ると、熱心に写真をのぞき、口々に感想をのべながら雑誌をくる。何よ りも事実が示している働く者の国・ソ同盟の人たちのゆたかなくらしに「いいなァ、いいなァ」のレンパツ。

 ぞく ぞ くつめかける人たちに広場は時ならぬ混雑をみせ、きわめて盛況であった。

 サー ク ル員の自主的な計画であったが、労働組合文化部の後援も得、ソ同盟に対する認識はあらゆる反ソデマを打ち破って、この機会に一度××り、会員も一層増加のうごきをみせている。

 終了後上飯田工場でもぜひやってもらいたい と の声が会員のなかから起こり、もっと前から宣伝しておくからの批判も出、各サークル活動もやうやく軌道にのりかけたかの感がある。

 学校関係では、中部朝鮮学校で学童を対象に ひ らかれ、子供たちは自分から貼るのを手伝いながら、無邪気な感嘆をもらしていた。

 各経営、居住でもどしどしこの写真展を利用 し、私たちの生活を守るほんとうの平和への祈りは、働く者の国ソ同盟との友好なくしては決して得られないことを、この明るい、すこやかな人々のくらしの写 真から直接知らせていただきたい。

 

名大文学 部でロシア語講座設立のうごき活発

 名大文学部では現在まで各外国語講座の殆ど が 開かれていたが、ロシア語のみはなかったところ、本会主催第一期ロシア語講習会講習生が中心となって、名大にもぜひロシア語講座をひらきたいとの署名運動 を行っている。今のところ署名も相当あつまり、近いうちに設立のはこびになっている。

 学生他のロシア語講座設立に対する関心は大 き くて、講師のお礼など予算がなければ、自分たちが出しあってもよいと云っており、そのアッセンも本会へ申し込まれている。

 本会としては、この熱心な期待にそうべく協 力 に努力している。

 

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×× は判読不明の部分です。