エ カテリンブルグ滞在記 1        羽根渕 圭
                               

  2014年9月   ハプニングと驚きが満載 
 


 皆さん、エカテリンブルグってどこかご存知ですか?実は私は全く知りませんでした。それどころか「エカテリンブルグ」という地名を覚えるのも大変でし た。そんな私が、今ロシアのエカテリンブルグで子供たちに日本語を教えています。毎日多くの人に助けてもらい、気にかけてもらい、いろいろな行事に参加さ せてもらっています。私がこの町に来ることになったのはタイミングと人と人との繋がりが始まりでした。今回、エカテリンブルグで体験したことを機関誌に、 とお話をいただき、少しですがお伝えできればと思います。よろしくお願い致します。

始まりはウズベキスタンから始まります。昨年、ウズベキスタンのリシタンと いう町で日本語を教えるボランティアをしていました。その時に「ロシアの小中高一貫の学校で、日本語を始めたいと考えている友達の校長先生がいるので、日 本人を探している」と聞きました。初めロシアは寒そうだな、くらいにしか思っていませんでした。それに日本語を教えている経験が浅く、ロシア語も話せな い。英語も中学の知識程度…?の私には無理だろうな…と。しかし、ある時、「ロシアに行ってみたいな」の一言から、サポートするから大丈夫だと言われ、こ んな私でも受け入れてくれるのなら…と渡露を決心しました。家族、友達からはありえない…とか、凄いね…とか大丈夫なのか?など賛否両論()

そして今年の3月、まだ雪が積もっている時に初めてこの地を訪れました。まだ雪が降り、溶 けると地面はぐちょぐちょドロドロ…。驚いたのは、そんな雪の上や余りにもひどい歩道をすたすたとハイヒールで歩く女性たち!何か仕掛けがあるのか?と 思ったくらいです。

今回は初めての取り組みという事もあり、ウズベクでお世話になっている校長 先生に同行してもらい、通訳として約1か月間サポートをしていただきました。学校に行くと、日本人を見るのは初め てだと驚かれ、本当に日本人か?と聞く子供までいました。日本語は授業後の無料スクールで教えるとだけ聞いていましたが、実際に現地ではいつから無料ス クールを開設するのか、どんなカリキュラムで進めるのか、勉強したい子供が何人くらいいるのか…など、何も決まっていない状況でした。ロシアに来るのも延 びに延び、わざわざ日本人を呼んで、お金まで掛けているのに準備が何も出来ていない!適当すぎる()。そんな適当に始まったエカテリンブルグ生活はハプニングと驚きが満載で す。

最後に、エカテリンブルグはロシアで3,4番目の都市だそうです。私には解 りませんが、タタール人が多い地域だそうです。さてここで問題です。ここエカテリンブルグに日本人は何人くらいいると思いますか? 答えは次回…。

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ウ ズベクの校長先生(左)とロシアの校長先生(右)
ヨー ロッパとアジアの境界の碑
と ても美しい昔の建物