名古屋ロシア兵士墓地の由来 (年表)
   
 1990年末、名古屋市千種区平和公園内の旧陸軍墓地の一郭で、明治37〜38年(1904〜5年)の日露戦争で捕虜となり、名古屋収容所で亡くなった15名のロシア兵士の慰霊碑が80余年ぶりに発見されました。ちょうどゴルバチョフ・ソ連大統領の初来日を控えた時期にあたり、日本ユーラシア協会(旧日ソ協会,93年1月に名称変更)愛知県連合会と名古屋ハリストス正教会は共同して、死亡者名の調査と慰霊祭の挙行準備にとりかかりました。以下、その動きを年表にまとめました。       (2010年4月)

1990.12
ロシア兵士慰霊碑と墓碑1基を名古屋平和公園で発見
1991.1.8   
チジョフ駐日ソ連邦大使来名墓地訪問、ロシア兵士慰霊碑であることを確認
1991.3.25
日ユ協会県連と名古屋ハリストス正教会共同記者会見
1991.4.11
第1回ロシア兵士墓地慰霊祭〔パニヒーダ〕(平和公園・旧陸軍墓地内) 大阪ロシア連邦総領事館からソーンツェフ、ソローキン両副領事参加
1992.2
日ユ協会とハリストス正教会の合意事項 @引き続き死亡者名簿の確定につとめる Aロシア兵士墓地はできるだけ原型に近い形で再建する B200万円募金を日ユ協会と正教会共同で提案し、市民に協力をよびかける C慰霊祭〔パニヒーダ〕を定期的に開催する(毎年4月第1日曜日午後に行う)
1992.3
ロシア兵士墓地第1期修復・再建工事、4月完了
1992.12.21
ロシア兵士死没者15名全員の名簿(ハリストス正教会作成)が大阪総領事館より提供
1993.1
第2期修復・再建工事、3月完了
1993.4.4
ロシア兵士墓地修復・再建工事完了記念・第3回慰霊祭 コマロフスキー大阪総領事参加、県連に総領事名の感謝状贈呈される
1994.3
大阪総領事館より提案されていた墓碑まわりの柵設置の工事完了(はじめて墓地に係わる費用をロシア側が負担)
1994.4
日露戦争百年記念・ロシア兵士墓地慰霊祭 ロシア連邦大使館からスミルノフ参事官、大阪総領事館からフェジャイノフ領事が参加
2008.2.14
ベールィ在日ロシア連邦大使墓参(日本ユーラシア協会愛知県連創立50周年記念行事のため来名)

  慰霊碑碑文 “ここに1905年に亡くなった15名のロシア捕虜が埋葬されている。神よ、天国で彼らの魂に安らぎを与えたまえ。この碑は同僚によって建てられたものである”

   ロシア語碑文 “«Здесь погребены 15 русских военнопленных умерших в 1905 году Господи упокой их души в царстве небесном! Памятник поставлен их сослуживцами»