「ウクライナのお・も・て・な・し」 リジア・ダ
ツェ
ンコ
さん
11月17日(日)午後2時から 第90回ロシア語サロンが開催されました。今
回のゲストはリジア・ダツェンコさん、ウクライナ人でポルタワ近郊のお生まれ、教育大学卒業後長年ロシア語とウクライナ語の教師として働いてこられた方で
す。リジアさんは会員のイーゴリ・ダツェンコさんのお母様です。この11月息子さんを訪ねて来日されたのでお忙
しい中サロンのゲストをお願いしました。リジアさんはベテラン主婦でもいらっしゃいますので「ウクライナのお・も・て・な・し」と題して、家庭にお客様を
招いてのお誕生日祝いの様子を楽しく語ってくださいました。 ウクライナではお誕生日を迎えた当人が
お客様を招いてご馳走し、お祝いしてもらうのだそうです。リジアさんはある家庭の主婦が自分のバースディパーティをする時の様子を「ウクライナのおもてな
し」の例として楽しく語ってくださいました。 準備はパーティの2-3日前から始まります。家族総出で家の周
りや庭や家の中の大掃除です。それからパーティのお客様の人数と顔ぶれを決め、それに合わせてメニューを考え買い出しに。基本的に料理はすべてお手製のも
のを出すので主婦はお料理に大わらわです。夫は買い物の手伝いをしたり、テーブルセッティングをしたりします。子供たちはキッチンでお母さんのお手伝い
を。テーブルに真っ白なクロスをかけて準備完了です。 パーティは夕方に始まります。お客がそ
ろったところで最初の乾杯です。家の主人がこの日の主役に乾杯を捧げます。2杯目の乾杯はお客様からこの家の人たち
へ。3杯目の乾杯は女性たちに。この時男性た
ちは立って乾杯します。 テーブルにはすでに様々な前菜が並んで
います。しばらくしたら今度はメインディッシュです。メンチカツ、ロール
キャベツ、肉と野菜の蒸煮、ローストチキン、カツレツその他の肉料理。おくさんはここで料理の腕をふるい、お客は全部を食べてみて、彼女の料理の腕を褒め
なければなりません。この後はゆっくりおしゃべりしたり、ダンスしたり、歌を歌ったり、家の中や庭を見せてもらったり。 そして最後はデザートです。絶対に欠か
せないのはバースディケーキです。これも以前は主婦が作りましたが 最近はお店で買ってくるようになりました。 デザートが出ても乾杯は続きます。最後
は「馬に乾杯」!これは昔はおよばれしてお酒をたくさん飲んでしまうと 帰り道は馬が頼りだったことにちなんでいます。楽しくて帰りたくないので最後の乾
杯のはずの「馬に乾杯」が延々と続いてしまうことも。 こうして大パーティは終わりました。主
婦はもちろん疲れていますが、こうして楽しい時が親しい友人たちと過ごせたことにとても満足しています。 会場からは「そんなウクライナのパーティにおよばれしたい」という声も、また「主婦が大変すぎる!」と同情する声もありま
した。 リジアさんは「たしかに大変ですが こ
うして親しい友人たちを自宅に招いて 一緒にテーブルを囲み、おしゃべりしたり歌ったりすることにより、もっと親しくなれます。また自宅に招くことで家の
中や庭がきちんときれいになっていること、家族が愛しあい協力しあっていることを見てもらうという意味もあるんです。料理の腕を披露する機会でもあるんで
すよ」と笑っておられましたが やっぱり大変でしょうね。 お誕生日のお祝いには職場の同僚や上司
がアポイントメントなしでいきなり自宅に来ることもあるのだそうです。こういう人も家に入ってもらって(表敬訪問なので15-20分程度だそうですが)おもてなししな
くてはならないのだそうで いやはや。 この日にサロンにはリジアさんの息子の
イーゴリさん、ウクライナからリジアさんといっしょに来日されたお姉さんのユリアさんと姪御さんのソフィアちゃんも来てくださいました。
ソフィアちゃんは11歳、初めて外国に来た彼女、見るものす
べてが珍しく面白く、日本が大好きだそうです。「日本で一番気に入ったものは?」という質問には「アイスクリーム!」という答えでしたが、将来何になりた
いかという質問には「日本語の通訳になりたいです!」と即答。リジアさんのお話ではウクライナの学校では普通はロシア語は教えてないということでしたが
ソフィアちゃんのロシア語はとても上手でした。 またこの日のサロンにはウズベキスタン
からのお客様もありました。 リスタンという小さな町から来られたナ
ジーロフさん(左)とマンスロワさんです。 今年の夏ボランティアの日本語教師とし
て この町の日本語学校で教えておられた羽根渕桂さんが連れてきてくださいました。羽根渕さんは日本ユーラシア協会の講座でロシア語を勉強された方です。
ナジーロフさんが どうしてリスタンの町に日本語学校があるのかを説明してくださいました。 仕事でウズベキスタンに赴任した一人の
日本人エンジニアがウズベク人とウズベキスタンを愛するようになり、子供たちのために何かがしたいと無料で日本語を教える活動を始めたのだそうです。彼は
退職金を投じてこの町に小さな日本語学校を設立しました。その方は亡くなられたそうですが 彼の遺志は受け継がれて、日本のサポーターと地元の人たちの熱
意に支えられ 今もウズベキスタンの子供たちが日本語の勉強を続けています。 詳しくはブログ「サモワールを囲んで」
の記事をご覧ください。 http://blog.goo.ne.jp/samovar_2011/e/fe28b25b057c14e0eae7bd2d6c9b285d この日のサロンにはケーキやミカンの差
し入れがありましたが その他にウズベキスタンのお二人からレーズンとドライアプリコットをいただきました。
|