第88回ロシア語サロン    2013.4.21


                                                      「クラスノダール」

                            ナタリア・カーズミナ  さん
 私はクラスノダールで生れ、育ちました。私の卒業した大学もここにあります。クラスノダールはロシア南部の中心都市です。人口は衛星都市や村などを含めると約150万人です。この町はなんと言っても暖かいことで有名です。冬でもマイナス10度以下にはなりません。夏は暑くて長く、10月になっても黒海で泳ぐことができます。これはロシアでは例外的なことです。ロシアでは夏はすぐに終わって早く寒さがやってきます。8月になるともう寒くなってしまうところが多いですから。そんなわけでクラスノダールのあるクバン地方には国中から人々が年中やって来ます。北部に住む人たちは9月や10月にたっぷり日にあたり、海辺でゆっくりするために飛行機で飛んできます。そのため、ここでは不動産の値段が大変高く、クラスノダールでアパートを買うとすれば その値段はマイアミかカリフォルニアと同じくらい高くつきます。それほど魅力的な気候だということです。ここには国中から観光客が来ます。生活レベルはモスクワ、サンクトペテルブルクについで第3位です。

 ロシア各地では工場が閉鎖されてしまったり、地元に産業がないところも多いのですが、クラスノダールでは食品工業が盛んです。農業も盛んで家畜が育てられ、小麦や野菜や果物もよく採れます。クバン地方の野菜や果物はとても有名で人気があり、高い値段で売られています。このため、厳しい仕事ではありますが農家はよい収入を得ていると思います。クバン地方は土壌がよく、ここで栽培された小麦はロシアだけでなく外国にも輸出されています。

 クラスノダールやクバン地方では賃金が高いことが外部からここに集まってくる理由の一つですが、特にオセチア、チェチェン、ダゲスタンから人が流入するのにはわけがあります。地図を見ればわかりますがこれらの国はクバン地方のすぐそばです。90年代の第一次、第二次チェチェン戦争の時にはクラスのダールは1万人以上の難民を受け入れました。これらの人々の多くはここに定住するようになりました。ロシア人女性で彼らと結婚している人も少なくありません。

 クラスノダールには美術館と博物館があり、19世紀の終わりに作られたプーシキン図書館もあります。ここにはロシア最後の皇帝ニコライ二世の蔵書も納められています。またクバン大学はロシアで有数の大学で、私の祖父がここの教授だったことを私は誇りに思っています。

 この町はエカチェリーナ女帝の時代に作られ、ここを勢力下においていたコサックに与えられました。そのため最初は「エカチェリノダール」と呼ばれていました。来年の冬季オリンピックの開催地に選ばれたソチは海辺の町で昔から保養地として有名なところでした。今も保養地、観光地として人気があるソチに比べてクラスノダールはビジネスの町として発展しています。最近では町にイタリアやトルコの会社のオフィスが増えてきています。
 来年はオリンピックもあります。ぜひ一度私の故郷を見にきてください。



 ナタリアさんは前回のゲスト、イーゴリ・ダツェンコさんに紹介していただきました。もともとジャーナリストでもあり、現在クラスノダールの雑誌に日本のレポートを掲載しておられるそうです。ロシアと留学したシカゴと(日本人と結婚して)今住んでいる日本での体験を通してのおもしろいお話をいろいろうかがうことができました。今回のサロンには16名が参加しましたが、ナタリアさんは老若男女、ロシアに対する興味もロシア語のレベルも様々な人たちが集まっていることがとても面白く思われたようです。彼女の提案で10名ほどが2次会に行ってさらに1時間以上話しこんでしまいました。(服部記)



 
 

 
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