第87回ロシア語サロン    2013.2.24


                                                      「ウクライナでロシア語はどう使われているか」

                            イーゴリ・ダツェンコ  さん


   2月24日に第87回ロシア語サロンが開かれました。ゲストのダツェンコさんはウクライナ人でポルタワ近郊のお生れです。キエフ言語大学卒業後ウィーン大学に留学中に日本人ピアニストと恋に落ちて結婚、昨年から日本にお住まいです。言語学専攻の彼にウクライナにおけるロシア語の状況についてお話を伺いました。
 

今日お話しようとしているテーマは非常に難しく、また慎重に検討しなければならないものです。ウクライナにおけるロシア語のあり方です。お話する際には、いいとか悪いとかの評価をせず、事実だけを指摘して分析し結論を出さなければなりません。まして、これは100以上の民族が住むウクライナの話なんですから。これらの民族はウクライナ文化の発展に大きな影響を与えました。ウクライナで生れ育ち、世界的に有名になった人たちの中にもウクライナ人ではない人があります。たとえば西ウクライナにはオーストリアの有名な作家ヨーゼフ・ロート、ポーランドの作家スタニスラフ・イエージ・レムが住んでいました。キエフにはユダヤ人の作家ショロムーアレイヘムがいました。さらに多くのルーマニア、ハンガリーの人たちもウクライナに住んでいましたし、もちろん、ロシア人の影響は特筆すべきものです。

それでも私がこの問題についてお話しようと決めたのは私自身が長い間この問題を研究してきて 現在の状況について考えて来たからです。

外国ではよくウクライナでは何語で話しているのか、ウクライナ語はロシア語とどう違うのかと質問されます。最初の質問に答えるのは簡単です。「普通はウクライナ語とロシア語、両方で話しています。」
でも2番目の質問に答えるには難しいのです。ロシア語とウクライナ語はとても似ていて、同じひとつの古代ロシア語からできた言葉です。そのため多くの共通の単語があり、文法も共通するところが多いのです。名詞や動詞は同じように変化しますし語順も同じです。

ロシア語とウクライナ語の違いは主として発音にあります。

・ウクライナ語の方が硬い発音になります。例えば ロシア語のнебо  はнэбо です。

・ウクライナ語では аのかわりにo と発音されます。(ロシア語でも о  と書いてаと読むところ)例えばводаはロシア語ではвада と発音しますがウクライナ語ではвода.  холодно はロシア語では холадна と発音しますがウクライナ語ではхолодно です。

 ・ウクライナ語ではロシア語でo になっているところがиと発音されることがよくあります。たとえばロシア語のнос はウクライナ語では нис、ロシア語ではе となっているところが и になるものも多いのです。たとえばロシア語のлето  はウクライナ語ではлито です。

・ウクライナ語では г は хに近い音になります。 私の名前 Игорьは ラテン文字で書くと Ihor です。

ウクライナ語とロシア語では違う言葉もあります。
たとえばロシア語のгородはウクライナ語ではмісто.
こういう言葉の違いは過去にポーランド語から強い影響を受けたことが原因であると言えます。(ポーランド語ではгородは miasto)

ロシア語とウクライナ語ではっきりと違うのは文字です。ウクライナ語にはЫ,Э,Ёがありません。そのかわりґ (г), і  (и) , є (е) , ї (йи)があります。

以上がウクライナ語とロシア語の違いの一番簡単な説明です。ウクライナ語がロシア語とどれくらい違っているかと言えば、オランダ語がドイツ語と違っているのと同じくらい、またカタロニア語がスペイン語と違っているのと同じくらいと私は説明するでしょう。ヨーロッパ人ならこの答えが一番わかりやすいからです。

注目すべきことはウクライナで2カ国語が使われているという事実ではなくて、二つの言葉が社会でどう機能しているか、お互いにどう関わっているかということです。
ウクライナの公用語はウクライナ語です。しかし2012年にいくつかの州でロシア語は公用語となりました。特に南部と東部で。
調査の資料によりますと これらの州では人口の半数の人たちにとってロシア語は母国語であり、人口の八割がロシア語を日常生活の言葉として使っていることがわかりました。ウクライナ全体を見ると人口の三分の一がロシア語を母国語とする人たちなのです。

ロシア語もウクライナ語も11世紀から14世紀に存在した同じ古代ロシア語からできた言葉ですが、ウクライナでロシア語が使われ始めたのは18世紀からのことでした。この時期にロシア語は学校で教える時の言葉、公式な書類に使われる言葉になりました。19世紀にはウクライナ語で話すのは農民と都市部のあまり教育を受けてない人々になり、ロシア語はインテリ層の話す言葉になりました。まさにこの時期に生きたのがロシア文学の偉大な作家のひとりであるニコライ・ゴーゴリです。彼の母国語はウクライナ語でした。

19世紀には当時オーストリア・ハンガリー帝国の領土だったウクライナの西部には「ガリツィアのロシアびいき」というロシアの政治運動がありました。これはウクライナ語とロシア語を近づけて、自分自身がロシア正教のロシア文化の一部であると自覚することを目指すものでした。
(ウィーンで私が提出した学位論文でいくらかこのことに触れています。)

ソヴィエト時代にはウクライナ語が広く使われるようになりました。たとえばウクライナ語で教える小学校ができましたし、ロシア語で教える学校ではすべてウクライナ語が教えられました。
ペレストロイカの後はロシア語で教える学校の大半は廃校になり、ウクライナ語で教えることになりました。でも大きな町では先生や生徒が授業以外の時間に学校で話したり、家庭で使われたりしたのは依然としてロシア語でした。

今でもウクライナではロシア語は町の言葉、ウクライナ語は村の言葉と考えられています。ウクライナの首都のキエフですら、住民の大半はロシア語で話しています。例外は西ウクライナのいくつかの町だけです。例えばリボフではウクライナ語で話すのが普通です。

ウクライナにおけるロシア語は 若者とインテリと新聞とポップカルチャーとビジネスとインターネットの言葉です。大都市の劇場ではロシア語の戯曲が上演されます。でもおもしろいのは 映画館で外国語の映画が上映される時は吹き替えられるのは主としてウクライナ語であることです。

ウクライナで生まれたロシアの作家はたくさんいます。ウラジーミル・コロレンコ(ジトーミル生れ)、アンナ・アフマートヴァ(オデッサ生れ)、ミハイル・ブルガーコフ(キエフ生まれ)、マクシミリアン・ヴォローシン(キエフ生まれ)、イサク・バーベリ(オデッサ生れ)、その他多数。

現在ウクライナで最も優れたロシア語の文学作品を毎年選ぶ賞があり、ゴーゴリ賞と呼ばれています。

ロシア文化を担う人たちにもウクライナに関係のある人があります。
セルゲイ・ボンダルチュク、リュドミーラ・グルチェンコ、ゴーシャ・クツェンコ(映画俳優)、アレクサドル・ドブジェンコ(映画監督)、イリヤ・レーピン(画家)。

このように数百年にわたってロシア語はウクライナ語と並んで 現在のウクライナの領土に住んでいる人たちの中の多くの人たちの母国語になってきました。
ウクライナ人はたいして苦労せずに二カ国語で話すことができます。これは私は大きな利点であると思います。ごく小さい時から子どもは二カ国語を学び、二つの言葉を比較します。多くのウクライナ人がロシア文化の発展に貢献しています。

でも現在のウクライナでは ロシア語は公用語とされているのはある一部の地域のみですが、それでもウクライナの社会で重要な位置を占めているのです。

ダツェンコさんは日本ユーラシア協会のホームページを見て、去年12月のヨールカ祭に来てくださり、すぐに入会されました。それ以来さまざまな行事に参加、協力してくださっています。日本語も猛勉強中でどんどん上手になっています。今回は参加者のロシア語のレベルに配慮してやさしいロシア語で、とてもわかりやすいお話でした。真面目でやさしい彼のファンは急増中で、「ぜひ、もう一度サロンのゲストによんでほしい」という要望が出ています。 (服部記)

   

 
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