第86回ロシア語サロン    2012.11.25


「アゼルバイジャンってどんなとこ?」

メフリバン・アフマートヴァ さん

 
 11月25日(日)午後2時からアゼルバイジャン人のメフリバン・アフマードヴァさんをゲストに久しぶりのロシア語サロンが開かれ、10名がお話を聞きました。

アフマードヴァさんのプロフィール:

アゼルバイジャン共和国の首都バクー生れ。アゼルバイジャン国立経済大学卒業後、3年間建築関係の会社で働く。奨学金を得て 今年4月に来日、現在は名古屋大学経済学部で日本語と経済学を勉強中。趣味は読書と映画。(でも今は勉強で忙しすぎて趣味の時間がない)






私はアゼルバイジャンの首都バクーの出身で 今年4月に日本に来ました。現在は名古屋大学の経済学部で勉強するために主に日本語の授業を受けています。

アゼルバイジャンはカスピ海の西側にあります。ここには紀元前から人が住んでいて文化が栄えていました。シルクロードに繋がる交易路がここを通っていたことから人と物との交流が盛んでした。中央アジアにはトルコ系の人たちの国がいくつかありますが アゼルバイジャンもトルコ系です。トルコの伝説には昔々人々が殺しあいをした後、たった一人残った子どもがオオカミに育てられ、その子がトルコ人の祖先となったと言う話があります。私たちもオオカミの子孫かもしれませんね。紀元前4世紀にはここにアトロパテナ王国がありました。その後はアレクサンダー大王がここを支配していました。国の北側にはロシアがあります。南にはイラン、西にはトルコがあり、その後の歴史はこれらの国と戦っては支配を受ける、あるいは国土を分割されるというものでした。このため、現在のアゼルバイジャンの人口は約930万人ですが、トルコやイランなど国外にいるアゼルバイジャン人は約300万人いると言われています。19世紀の初めの帝政ロシアとペルシャの戦争の結果、現在のアゼルバイジャン国土の大部分はロシア領となりました。ロシア革命が起きるといち早くアゼルバイジャン民主共和国が樹立されたのですが ボリシェビキの攻撃に敗れてアゼルバイジャン社会主義共和国となり、それからずっとソ連の共和国のひとつでした。バクーには油田があるので石油生産の拠点となり、特に第二次大戦の時は石油関連の仕事をしていた人たちは24時間体制で働いたとのことです。ペレストロイカが始まると独立運動が高まり、これを抑圧しようと1990年1月20日にソ連軍がバクーに侵攻、数百人の民間人が殺されるという事件が起こりました。今でもこの日はアゼルバイジャン人には忘れられない日なのです。7世紀半ばごろからアゼルバイジャンにイスラム教が広まり、現在もシーア派のイスラム教徒が大半です。公用語はアゼルバイジャン語ですがロシア語も併用されています。最近ではロシア語をちゃんと学ばない人も増えてきました。以前はテレビやラジオの放送は全てロシア語だったのですが、現在は政府の方針ですべてアゼルバイジャン語になりつつあります。アルメニアとの間には アルメニア人が多いナゴルノカラバフ州を巡って度々衝突が起こっていますが現在は休戦中です。このためアルメニアに対しては反感を持っている人が多いのです。日本のアニメはアゼルバイジャンでも人気があり、一番有名な日本人は「ナルト」かもしれません。私の両親の世代では 黒沢明が有名です。






紀元前6世紀に始まる長い複雑な歴史の話、それをメモも見ないでとうとうと語る彼女に一同まずびっくりでした。長い黒髪にキラキラ輝く茶色の瞳の美しい人です。遠い日本に一人でやってきていろいろ大変だと思うのですが、とても明るく、希望を持って目標に向かっている感じでした。お話を聞いた方も後から「明治の留学生みたいですね。将来はアゼルバイジャンの大臣かも!」とおっしゃっていました。日本語はインテンシブコースで猛勉強したとのことで4月に来られたばかりなのに もうとてもお上手。彼女は母国語の他にロシア語、トルコ語、英語が自由に話せるそうです。外国語習得のコツは「よく聞くこと、間違いを恐れずに話すこと」
メフリバンさんにお正月の予定をお聞きしたところ「勉強です!やることがいっぱいあって時間が足りません!」だそうでした。(服部記)



 
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