第80回ロシア語サロン    2010.10.17

私のこれまでとこれから

                                                               

アンナ・マイリャーンさん
 
私はウクライナの首都キエフの近くのアブーホフという町に両親と妹と住んでいます。父はアルメニア人で、飛行機のパイロットになる夢を抱いてキエフの大学に入学しましたがそこでウクライナ人の母と恋に落ちてしまいました。母は父がパイロットのような危険な仕事に就くのも嫌、アルメニアに住むのも嫌だったので、結局父は航空機のエンジンを設計したり製作したりするエンジニアになり、ウクライナに住むことになったのでした。母は化学専攻で今では紙容器を製造する会社のエンジニアです。妹はまだ工科大学の学生です。

私は日本が大好きで今日本語と日本の文化を勉強しているところです。日本に来る前に何人か日本人に会う機会があったのですが、皆とても優しく賢い人たちでした。日本が第二次大戦後、短期間で発展した国になったことはよく知られています。特に経済的な発展に私は興味を持ちました。日本の経験を学び、それを祖国にも応用してもっとよい国にするにはどうしたらよいかといつも考えています。また私がもっと知りたいのは神道とそれに関連する文化です。なぜなら国民の力の源はやはり精神であると思うからです。日本の伝統文化も深く知りたいと思います。ただそのために今何をすべきかということがまだはっきりせず、模索しているところです。

私にはウクライナに日本語堪能で料理上手な恋人があり、今回こうして日本にこられたのも彼の協力があったからです。来日する前から日本にはよい印象がありましたが、日本で暮らしてみてますます好きになってしまいました。三カ月の予定で8月に来て、もう帰国の日が迫っているのですが、今から日本が恋しくてホームシックになってしまいそうです。もっと知りたいという気持ちが募ります。将来は日本語をいかして日本に関連した仕事ができたらと思いますが 具体的にどんなことができるかまったく想像がつきません。

日本が好きになったのはまだ学生だったころで、まず漢字を習いました。子供の時から絵が得意だったので漢字はまるで記号を描くように楽しんで覚えました。漢字の成り立ちを説明した本も持っていました。ウクライナの若者たちは今後の祖国のあり方について様々な考えを持ち、話し合ってしますが、話ばかりでなかなか実行できないのが悩みです。こういう状況はウクライナだけでなく旧ソ連の国々に共通していると思います。






小柄でかわいいアンナさん、初めてお会いした時は服装や恥ずかしそうに小さな声で話す様子からティーンエイジャーかなと思ってしまいましたが、なんと26歳で数学教師!祖国の将来を憂える愛国者で、日本に学びたいと真剣でした。「今までに出会った日本人はみんないい人で尊敬できる人、日本は素晴らしい国!」と言ってくださるのでうれしいのですが、「そのうちがっかりしないかなあ」と一抹の不安も。当日の参加者から「外国に出て行こうとしなくなった日本の若者についてどう思うか」という質問がありました。「私は日本が好きだったが、日本語がよくできないまま日本に来てしまい、来日してからは驚きの連続、教科書や本では知りえなかったことをいろいろ体験した。苦労はしても やはり自分の目で見て、体験して得るものは多い。日本の若者にも是非外国に行ってみてほしいと思う。」という答えでした。

 服部記





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