第76回ロシア語サロン   2009.7.5

運命の出会いー大和撫子に一目惚れして

                                                                ワシリー・ボイチンさん

ウクライナ、リボフ市出身のワシーリー・ボイチンです。今日はロシア語サロンに招いていただき、こうしてみなさんにお話できることをとてもうれしく思います。ウクライナはすばらしい国です。自然にも恵まれ、古代からの遺跡や古い建物もたくさんあります。ウクライナ人は人懐っこく善良です。どうぞウクライナにいらしてください。

 

ウクライナの人口は約4700万人、黒海とアゾフ海というふたつの海があります。またカルパチア山脈には大きく深い(深さ58,5m)の湖があります。一番長い川はドニエプルで長さは2200キロもあります。

 

私はウクライナ人で祖国をとても愛しています。しかし私は日本に来て、私が世界で一番美しいと思う女性と結婚し、日本に住むようになりました。こういう運命だったのだと思います。

 

私は重い鉄の球を扱うジャグラーで2008年に犬山のリトルワールドでサーカス団の一員として公演に参加しました。その時は3か月の契約で、仕事の後はよく犬山に行ってお城を散策したり、また名古屋や東京にも行ったりしていました。日本と日本人に対する印象は非常によく、素晴らしい女性(妻)にも巡り合ったのですが、あっという間に契約した三か月が経ってしまい帰国せざるを得ませんでした。でも愛する女性が恋しく、心は落ち着きませんでした。毎日彼女のことばかり考え、絶対に日本にまた行こうと思っていました。妻も私が日本に来られるように奔走してくれました。大変だったと思いますが愛の力で乗り切ってくれ、しかも独学でロシア語を学び、半年ばかりでかなり上手になったのです。彼女は賢い女性でロシア語はもう半分くらいは理解できるようになっていると思います。彼女の奔走のおかげで 日本にまた来ることができ、今は3年滞在のビザをもらって江南市に住んでいます。愚痴を言ってはいけませんが 今は日本語ができないために仕事がみつからずつらい思いをしています。ずっと働いてきましたからこういう状態には慣れることができません。でも2か月前から日本語の勉強も始めていますし、妻と二人ならどんな困難も克服していけると信じています。

 

質問に答えて:

 

1)奥様とはどこでどんな風に出会ったのですか?

 

リトルワールドのサーカスで演技している時に最前列に美しい女性がいて、私の演技に身を乗り出して心配そうな顔をしたり、熱心に拍手をしたりしていることに気が付きました。彼女は毎日私を見に来るのです。私は彼女に一目惚れしてしまいました。毎日目と目を見交わしながら私は何も言うことができませんでした。シャイな性格ですし、日本語がまったくできませんでしたし、日本の文化や習慣も知りませんでしたから。思いは募るばかりで とうとうサーカス団の通訳の日本人女性に頼んで私の気持ちを書いた手紙を日本語に訳してもらい、その手紙を恋する女性がいつも座る席に置いておいたのです。返事はすぐに来ました。しかもロシア語で!彼女も私が好きで独学でロシア語を学んでいたのでした。その返事の手紙は私の宝物で大事にしています。翌日犬山にデートに行き、それ以来離れることはありませんでした。3か月の契約が切れると私は帰国せざるを得ませんでしたが今年4月に私が再来日するまでに彼女は2回ウクライナに来ました。ウクライナでは教会で結婚式を挙げ、日本では江南市役所に届けを出しました。

 

2)今年ウクライナに旅行に行く予定ですが国内の状況はどうですか?

 

大変混乱しています。国会もいつももめていて、公平な選挙は行われません。大統領になりたい人がいっぱいいますが 自分の利益を追求する人ばかりで国民のために尽力しようという人がいませんし、この混乱はいつになったら収まるものやら、50年か100年もかかるかもしれません。たとえば教育のことひとつを取っても 私は今38歳ですがこれまで高等教育を受けようと努力したものの、うまくいきませんでした。母は65歳ですが年金は月にわずか50ドルでなんの助けにもならずまだ働かなければならないのです。アパートではしょっちゅう なんの予告もなくお湯が出なかったり、停電になったりガスが止まったりします。道路もガタガタです。でもウクライナ人は強く、そんな状況のもめげずに暮らしています。平和を愛する国民で政治でもめてもお互いに殺し合うような事態にはなりません。

 

3)日本に住んでいらして 恋しく思う祖国の食べ物は?

 

妻は料理が上手で ウクライナ料理(ボルシチなど)も作ってくれるので不満はありませんが 恋しいのは黒パンです。

(会場から“ユーラシア協会で売っていますよ!”の声あり)

そうですか、それはいいことを聞きました!

 

4)日本語はどこで勉強していますか?子供のころは家ではウクライナ語で話していましたか?

 

現在は江南市の市役所にある日本語講座に毎日通っています。ひらがな、カタカナの読み

書きはもうできるのですが漢字は難しいですね。ウクライナ語で育ちました。ロシア語は

学校で習ったものです。生まれたところはポーランドの国境から50キロのところでポー

ランド語も話します。チェコでアルバイトしたこともあるのでチェコ語もわかります。

 

5)ピアスはどうしてしているのですか?

 

サーカスの入る前は10年間警察官をしていました。危険で大変な仕事の割に部屋代を払

うとほとんどなにも残らないような安い給料だったのでやめてしまいましたが その当時

はヘアスタイルも違い、真面目な格好をしていました。サーカスに入ると 団員はそれぞ

れアーティストですから自由な雰囲気があり、私もそういう気持ちでピアスしました。片

方だけですし、不必要な時は外せますから便利です。すぐにサーカスに入れたわけではな

く最初は道端で技を見せていました。25キロもある鉄の球を扱う私の芸は自分で考案し

たものです。

 

6)宗教はどうなっていますか?

 

私はロシア正教徒ですが ローマカトリックの人もいます。ウクライナ西部は昔はポーラ

ンド領だったこともあってポーランドの影響がすべてにわたって強いですね。言葉もウク

ライナ語ですがポーランドの言葉も混じっています。東側はロシアの影響がとても強く、

ウクライナ人でも母国語がロシア語の人も多いです。2−3年前にすべての学校ではウク

ライナ語を主として教えるべきだという法律ができたはずですが現実にはそうなってはい

ません。私個人としてはウクライナ人ならウクライナ語を話すべきだと思います。

 

7)極東の方にウクライナ人が多く住んでいる地域がありますが?

 

ソ連時代には今のような国境はなくて移動が自由にできました。仕事を求めてシベリアの

方に行った人たちがあったと思います。また労働力として送られた人や政治犯もいたでし

ょう。今でも移民する人は多く アメリカ、オーストラリア、カナダなどに大きなウクラ

イナ人社会(ロシア人社会とも近い関係になります)ができています。

 

8)日本の伝統文化で興味を持っているものはありますか?

 

まだよくわかりませんが 相撲は好きです。テレビでよく見ています。「そんなことより日

本語の勉強をしなさい」と妻には叱られますが。

 

9)これからの人生設計は?

 

まだ仕事がみつからない状態ですが、、、まず日本語をしっかり勉強したいです。私はウク

ライナ人で祖国を愛してはいますが ずっと日本に住んでいたいと思います。妻を愛して

いますから。

 


二人の出会いを熱く語るワシーリーさん。参加者のみなさんも感動のあまりしばらくシー

ンとしてしまいました。こんなロマンティックな話を聞いたのは久しぶりです。なんとか

日本語を早く覚えて お仕事がみつかりますように。独学で覚えたとおっしゃる妻の敦子

さんのロシア語もたいしたものです。ざっと半年でここまでできるようになったそうで驚

きました。ほんとうに「愛の力の勝利」ですね。最後にワシーリーさんに「こんなに愛さ

れて奥様は幸せですね。」と言ったら「私が幸せな夫ですよ!」という答えでした。

(服部記)




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