第74回ロシア語サロン
2009.3.1
ハバーロフスクの歴史について
3月1日(日)民主会館でロシア語サロンが開かれました。今回のゲストはハバロフスクからのナターリア・ペストゥシコさん。名古屋大学へ研究留学したセルゲイさんに同行して来日しました。お話のテーマは「ハバロフスクの歴史」。
ハバロフスクは極東の中心で1858年にできました。現在人口は約65万人、モスクワまでの距離は鉄道では約8500キロもあり、シベリア鉄道で行くと一週間かかります。町の周りは自然に恵まれていて、極東地方の北と南の植物や動物が混在しています。タイガにはアムールトラ、ヒマラヤ熊、ヒグマ、猪などが住んでいます。19世紀の中ごろに国境警備軍の監視所が作られたのが町の起こりで、ここにしだいに農民や商人がやってくるようになりました。1891年には日本からの帰途、当時の皇太子ニコライもここを訪れています。彼はロシアの最後の皇帝ニコライ2世です。1916年にはハバーロフスクとモスクワがシベリア鉄道によって結ばれました。政治犯として送られてきた人々が多く住んでいたこともあり、革命は歓迎されソヴィエト体制への移行はスムーズに行われました。1920年代には巨大な工場が建設されて町は飛躍的に発展しました。医大や鉄道大学が作られ、ベッドタウンもできました。第二次大戦の時にはここから三万人が出征し、住民は前線をサポートするために大変な努力をしました。戦後になって町は再開発されて美しくなり、今日では極東の科学や文化の中心都市となっています。