第72回ロシア語サロン  2008.7.13


イヴァン・クパーラ :  火と水の祭りロシアは我が命 

                             アンドリイ・イヴァンチェンコ

イヴァン・クパーラは新歴7月7日に(旧暦では7月24日に)広くロシア、ベラルーシ、ウクライナで祝う民間の祭りです。バルト海の国々やポーランドやバルカン半島でも(違う名前でよばれていますが)祝われています。夏に行われる火や太陽の祭りは他のヨーロッパ諸国にもありますが その祭りは水の祭りではありません。教会の暦では これは洗礼者ヨハネの誕生を祝う日ということになっています。ヨハネは荒野に行って精神的なよみがえりのシンボルとして「水につかり水を浴びること」(洗礼)を選びました。キリストはヨハネによってヨルダン川で洗礼を受けました。クパーラはずっと昔から行われていた太陽の祭りです。歴史学者たちはクパーラの祭りは少なくとも2000年前から行われていたと考えています。絵をお見せしましょう。この絵は2−4世紀ごろのウクライナ中部のものです。十字は火と太陽のシンボルです。真中の下に描かれている6月は二つの十字(天上と地上の火)と波型の線(水のシンボル)であらわされています。その下に描かれているのは花と草のシンボルです。円の外側に月の新しい呼び方、中側に古い呼び方が書かれています。

太陽の神はダシュボフ(与える神)でした。ダシュボフの像は988年までキエフの丘にたっていましたが キリスト教を受け入れたウラジーミル公がこれらに像を破壊するように命じました。クパーラの祭りは太陽の婚礼(太陽が水に浸かること)を祝って行われていました。祭りはたいていは川や湖の岸で行われました。人々は腰に花を結びつけ、頭には草の冠をかぶりました。老人たちは摩擦によって生きている火をおこしました。その火をおこすのは年に三回でした。12月の終わり、3月の終わりそして6月の23-24日でした。焚き火を炊いて その真中に輪をつけた棒を立てました。その輪は太陽のシンボルでした。

キリスト教を受け入れた後、教会によってこの祭りは禁止されました。でも人々はこっそりクパーラの祭りを続けていました。14世紀のイヴァン雷帝にはこれを行ったものには厳罰が課されました。17-18世紀のピョートル大帝の時代から その後の時代には、クパーラの祭りは教会はまだ禁じていましたが 罰は軽くなりました。20世紀に入ってソ連時代はこの祭りは公式には禁止されていませんでしたが認められていたわけでもありません。教会は依然として反対の立場を取っていました。

祭りの祝い方

昼間の間に女の子たちは祭りの御馳走を作り、草を編んで冠を作ります。若者たちは藁で作った人形(マレーナ)をスカーフやビーズの飾りや花輪で飾って祭りの場所に持ってきます。そこに祭りの木を立てて 花やリボンで飾ります。その前にマレーナを立てます。女の子たちはこれを囲んで輪になって踊ったり歌ったりします。女の子たちは若者を手をつないで焚き火をとびこえます。朝になるとマレーナや祭りの木は燃やされて川に沈められます。

イヴァン・クパーラの夜にはこんなことをします。

―焚き火をとびこえます。高い飛ぶほど幸せになれます。
―火のついた木製の輪を転がして水に入れます。この輪は太陽のシンボルです。
―健康になれるように 川に浸かったり水をかけたりします。
ー魔法のシダの花を探します。シダには花が咲きませんが・・燃えるように赤いシダの花は太陽の力のシンボルなのです。
―女の子たちは夜中に花を集めてきてそれを枕の下にいれて寝ます。朝になってこの花を調べて12種類あれば その年にお嫁に行くことができます。
―女の子たちは川の中に花輪を投げ入れます。それが浮かべばお嫁にいくことができ、沈んでしまえばお嫁にいけません。

祭りの日には出会う人すべてに水をふりかけて 健康になるようにと祈ることができます。また女性たちは朝早く野原で朝露を集めて それで顔や手を洗うと病気にならないですみます。

こういう言い伝えがあります:

クパーラの祭りの夜には寝てはなりません。この時にはすべての魔物の活動が活発になり、人間に悪さをしようとします。クパーラの祭りの時頭にかぶる草の冠は魔除けの意味もあるのです。

川で泳ぐなら気をつけないとルサールカ(水の妖精)におぼれさせられてしまいます。

イヴァン・クパーラの祭りの夜に魔女たちはキエフの禿げ山に飛んでいきます。魔女はみんな高く空を飛んでいくので雲を吹き散らしてしまい これが旱魃(日照り)を引き起こすこともあります。

クパーラの祭りの真夜中にシダの花が咲きます。燃えるように赤いその花の咲くところに宝物が埋まっているかもしれません。

2007年にはウクライナでは盛大にイヴァン・クパーラを祝いました。大統領も参加しました。報道によりますと2007年の7月7日のお祝いでは大統領ヴィクトル・ユーシェンコ自身がクパーラの火をおこし、二人の女性と手をつないで焚き火をとびこえ、火のついている輪を川に流しました。このお祭りはペフチェスキーの野原で行われキエヴァ・ペチェールスキイ修道院の外壁のすぐそばで行われました。(これはロシア、ウクライナ、ベラルーシでは一番古い修道院で11世紀にたてられました。)2007年の7月12日にはこのキエヴァ・ペチェールスキイ修道院内の聖母マリア教会の鐘楼に雷が落ちて教会は焼けてしまいました。修道僧たちは教会に雷が落ちたのはキエヴァ・ペチェールスキイ修道院の壁のそばでイヴァン・クパーラの祭りのお祝いをしたためだと言っています。



ほっそりとして物静かなアンドリイさんはどこか神秘的な雰囲気を持った方。ご自分のノートパソコン持参で古いウクライナの絵や偶像の写真を見せながらのお話でしたが 一番おもしろかったのはやはりパソコンの画面で見せてくださった実際のクパーラの祭りの映像でした。夜の空を焦がす焚き火、草と花の冠をかぶり白い服を着た美しい少女たちや川の中に投げ込まれる火のついた輪など どこか異教の香りのするお祭りです。教会がこれを禁じたのはこうした異教的な雰囲気のせいではないかと思ったのですが、、これについては当日出席された山崎タチアナ先生からコメントがありました。「このお祭りには人々は教会にはいかないで 外で遊ぶだけ、教会に金銭的なメリットがないということもひとつの理由ではないでしょうか?」
また「川で泳ぐとルサールカにおぼれさせられる」と言われることについては
「この時期はまだ川の水は冷たいので泳ぐのは危険、という意味でしょう」とのことでした。(服部記)


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