第71回ロシア語サロン

日 本 と の 出 会 い

                         アリーナ・アガフォーノヴァ

 私は シベリアのイルクーツク生まれです。イルクーツクはバイカル湖のそばにあるあまり大きくない町で、ロシアの田舎です。イルクーツク州は地下資源に恵まれて いてここをシベリア鉄道も通っています。

 高校 を卒業すると私は経済大学に入りましたが経済が好きで何かビジネスがしたかったというわけではありません。家族や親戚に経済学部を出てその専門を生かして 働いている人が多かったので母が私にもそうさせたがったのです。

 大学 では経済学だけを勉強しているのがつまらなかったので日本語を習い始めました。私たちはペレストロイカの世代です。つまりゴルバチョフの時代ですね。私た ちの目の前で国中で大きな変化が起こっていました。以前はソ連は他の国との交流もなく 私たちは外国についての情報を得られませんでした。でも80年代の終わりから状況が変わり始めました。そんなわけで私たちはこれから外国とのビジネスが発展するだろうと期待し、 若者は外国語を勉強すべきだと思いました。イルクーツクはロシアのアジア地域にあります。私たちの大学には「20世紀になって初めての」日本語講座が開かれました。(「20世紀になって初めて」というのは 実 はずっと昔にイルクーツクには日本語学校があったからです。日本の漂流民大黒屋光太夫と仲間の水夫たちがサンクトペテルブルクにエカチェリーナ女帝に帰国 させてほしいと頼みに行く途中1789年にイルクーツクにやってきました。仲間のうち二人はここに残って日本語学校を開いたのでした。)

 さて 私たちが日本語を習った素晴らしい先生はサハリンで育って朝鮮語と日本語が話せた朝鮮人の女性でした。富山大学、金沢大学、名古屋大学から学生たちがイル クーツクにやってきた時にこの先生のおかげで学生の交流の制度ができ私たちも日本に行くことができました。

 最初 の印象は様々でしたが だいたいよい印象でした。当時のロシアは物不足で、混乱していて、暗かったのですが 日本はとても清潔できれいで、人は礼儀正しい し、巨大なスーパーやデパートがあり 道路は車でいっぱいでした。もちろん今ではこういうものもロシアにありますが 当時は全然違っていました。

 私た ちが日本でびっくりしたこともたくさんありました。たとえば日本の家にはちゃんとした暖房がなかったことです。ロシアではどんなに小さなアパートにも集中 暖房があります。日本の学生たちが通学にはいい車に乗っているのにガス代、電気代、水道代などをケチケチして冬でも冷たい水で顔を洗っているのには本当に 驚きました。私たちが食堂に行くとスープが出ましたが日本の学生たちはこのスープは「腐ったような匂いのする豆」からできていると言うのでした。

 私が 知った一番大事なことは日本人がロシアをまったく知らないということでした。日本人にとってのロシアのイメージは とにかくひどく寒い、ロシア語は難し い、太った女性たちがいる、ウォッカをたくさん飲む、といったものでした。まあ、いくらかは真実ですけれど。でも結局私は日本が大好きになりました。今で はあの「腐ったような匂いのする豆」のスープも喜んで飲みます。

 その 後富山大学で10か月勉強しました。私はまだ18歳で内気だったので 友達もなかなか できず部屋でテレビを見てすごしました。ワイドショーをよく見ました。どのチャンネルも同じ内容を繰り返しているので日本語の勉強には役に立ち、いろんな ことを覚えました。外国語の習得にはテレビはとてもいいと思います。ロシアで大学を卒業すると金沢大学の大学院に入り、博士課程に進みました。当時は奨学 金ももらってなかったのでアルバイトをして学費と生活費を稼がなくてはなりませんでした。勉強するよりも働いていた時間の方が長いくらいです。大変でした が私はがんばって大学院を卒業しました。とてもやさしくしてくれた金沢の人たちは感謝しています。 様々な場所で様々な人たちと働いてみて

 私は 大学の世界がとてもちっぽけで閉鎖的だと思うようになり、教科書で勉強するより現場で働くことに決めました。私は多治見にロシアとビジネスをしている会社 をみつけて就職しました。それで今日ここにきているわけです。


 ア リーナさんが長く住んでいらした金沢にはロシア人やロシア語を話す日本人がたくさんいたそうです。今は日本の会社で日本人の同僚に囲まれてまったくロシア 語を話さない生活だそうで 名古屋でロシア語を勉強している人たちに会えたことを喜んでくださいました。日本の会社で日本人と働いていらっしゃるというこ とで 日本の会社についての質問が多く出ました。「自分の仕事が終わっても 上司や同僚が残っているとさっさと帰宅できない」「前例がないことは絶対に許 されない」「女性が差別されている」「間違っているとわかっていても上司には何も言わず、自分の意見を言わない」「ロジックが通らず上司が怒鳴ってばか り」「休みが取りにくい」など耳が痛い話も出ました。お休みの日は車で土岐のショッピングモールなどに出かけてストレスを発散していらっしゃるとか。

 日本 の会社で働く外国人は珍しくなくなりましたが 耐火レンガの会社、しかも多治見で働くロシア人女性ということで どんないきさつでこの会社に入社されたの かと不思議に思っていました。好奇心丸出しでお聞きしてみたところ「製造業の会社か工場で働いてみたいという気持ちがあり、一番早く内定が出たのがこの会 社だったから」ということでした。(服部記)       


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