ロシアのシンボルとしての鷲 川北ナターリアさん
ロシアのシンボルについて
いろいろな国の方からロシアについて話して欲しいとよく頼まれます。ロシアってどんな国? ロシアのシンボルって何ですか?
ロシアのように大きな国にはシンボルもたくさんあるのです。
古代ギリシア人たちと歴史の父ヘロドトスは、ロシアを「ギーペルボーリャ」(北風ボーレイの向こうにある北の国)と呼びました。その後彼らは古代ロシア人の国をスキーフィア(そこに大昔住んでいたスキタイ人の名にちなんで)と名づけました。またロシアはユーラシアとも呼ばれました。それは130もの民族と言葉を持ち、二つの大陸にまたがるただひとつの国という意味でした。
詩人たちや作家たちは、ロシアを白樺や果てしなく広い大地の上を飛ぶ小鳥のトロイカに例えました。哲学者たちはロシアを光の聖母に例えました。
古代ロシアースキタイ人たちはみずからを鷲か隼と呼んでいました。いったいどこからそんな名前がついたのでしょう。これはロシアの神話や人々が自然を神として敬い、自分たちも自然の一部と考えていた時代と関連があります。
ラロック ー 鷲 — ハヤブサ ー ロシアの最初の神
ロシアの民話によると古代ロシア人たちは光と火の神ラロックをあがめていました。ラロックはロシア最初の神ロットの分身です。ラロックは太陽の光と火の神でした。ラロックは光り輝く太陽の霊であり、光を告げる者でした。その姿は炎がキラキラと燃える羽を持ち、くちばしから炎を吹き出す肉食の鳥、鷲として描かれています。ロシア人は鷲(ハヤブサ)を守護者としてトーテム(守護者としての動物)として選んだのです。ロシアの言い伝えでは、ラロックはフェニックスです。その姿は鷲に似せて描かれました。ここで注目したいのは鷲もハヤブサも同じ鷲類に属しているということです。ですからラロックは鷲とハヤブサはシノニムです。つまり民間のシンボルとしてはハヤブサは鷲の分身のようなものです。肉食の鳥というものはみな本質は同じです。そのことについては古代ロシアの古文書「ザドンシチナ」(ロシア人とタタール人との戦いを描いたもの)にも書かれています。
神話のシンボル 鷲ーハヤブサー太陽
鷲やハヤブサはロシア人がもっとも尊いものと考えている鳥です。鷲やハヤブサの姿はロシアを象徴するものとなりました。ヘロトドスの書いた「歴史」によれば、ロシアースキタイ人は紀元前2000年にすでに自分たちを「ハヤブサ」と呼んでいたそうです。いったいどこから鷲やハヤブサを尊ぶようになったのでしょう。インドやヨーロッパの国ができる前に起源を持つこのシンボルは太陽とハヤブサと鷲を表すものであり、光と夜明けを告げる者であり、空にあって神と人とを仲介するものでありました。
ここでロシア人の世界観について一言お話しましょう。大昔からロシア人は世界は空と宇宙からなりたっていると考えていました。人間の生活は 普遍的な法則にしたがっています。つまり日の出と日の入り、昼と夜、時の流れとと出来事など。そして この規則はロシアの大事な神ロットとその分身であるラロックを連想させます。そしてそのシンボルである鷲も。
シア人たちが空や宇宙をあがめたということは、全ての哲学者や作家たちが認めていることです。鷲は空のツァーリ、天国の神の鳥であり、鳥たちは人と神とを仲介するものでした。そのような想像と結びついていたのが古代ロシアの光と火の神ラロックでした。
羽を広げた堂々とした鷲(ハヤブサ)の絵はユーラシア大陸のどこでもみつかります。大昔からスキタイ人は様々な物やコインや金にその姿を描きました。そのもっと前にはシベリアや、ロシアの南部やコーカサスなどスラブーロシア人が住んだところならどこにでも岩壁や岩にその姿が描かれました。
鷲やハヤブサは刺し穂のロシアの統治者であったリューリクのシンボルでもありました。太陽と光と火の神であるラロックはまさに鷲(ハヤブサ)という意味でした。学者たちは「リューリク」とそれから派生した「レーリック」と言う言葉は「ラロック」という言葉をから生まれてきたと主張しています。これらの言葉はみな鷲(ハヤブサ)という意味なのです。
歴史から
双頭の鷲を初めて紋章としてえがいたのはヒッタイト人でした。(小アジアー今のトルコのアナトリアにある石の門に描かれています。)
アカデミー会員の学者ルィバコフの本「古代スラブの異教」によれば、ロットとラロックの宗教はロシアと同じくアジアヨーロッパの境になっている小アジアまで広まっていたとのことです。
アジアとヨーロッパという二つの地域は鷲の二つの頭で表されているのです。この姿はその後紋章としてヴィザンチン帝国に移り、のにちその宗教を受け継ぐものとしてロシアに伝わりました。
ロシアの国家の紋章—鷲
国家の紋章としての双頭の鷲は500年前に使われるようになりました。1462年にイワン3世が、最後のヴィザンチン帝国の王家からソフィア・パレオログを妻に迎えました。彼女はその持参品として珍しい本のコレクションを持ってきましたが、その本には実家の紋章である双頭の鷲がついていました。
このようにしてこのシンボルが受け入れられたのです。
なぜ双頭の鷲なのか?
ヴィザンチン帝国の後継者としてのロシアは、輝しいキリスト教がそこから伝わった、キリスト教の太陽である正教が生まれたヴィザンチン帝国の紋章である双頭の鷲を受け入れました。偶然でしょうか? 研究者はそうではないと考えています。ロシアは二つの世界に広がる唯一の国です。ロシアの紋章のもっている地理的な意味は明らかです。頭のひとつは西、つまりヨーロッパを向いており、もうひとつは東、つまりアジアをむいています。ロシアの鷲はその力強い広げた翼でロシアをしっかりと抱えています。それぞれの羽には東西の町の紋章が描かれていることもあります。そういう時にはこの鷲が 象徴的なロシアの地図のようにも見えますね。
紋章と象徴
鷲は人間の美しさ、力、大胆さ、賢さのシンボルです。鷲の二つの頭の上に、そしてもう一つ、その真ん中の上にある冠は三位一体(信仰、希望、愛)を表し、またロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の3民族の統一を表します。鷲はその足に王しゃくを握っていますがこれは国家権力の象徴です。高く広げた翼と双頭の鷲自身は、ロシアの国家の不可分なことを象徴しています。
千年にもわたるロシアのシンボルは国家の紋章の中だけではなく、人々の心の中に生きています。伝統や言い伝えの中に、歴史的な地名の中に。数千のロシアの町や村や森や川や湖、山、谷や崖、名前や苗字、あだ名、文学や芸術、歌、ロシアの人の描写にも。
真紅のドレスで華やかに登場されたナターリアさん。元気はつらつ、とてもドラマティックな話し方で、お話はヒッタイトの文化、古代ロシアの神話、スターリンから滋賀県のイヌワシの保護とどんどん広がっていきました。
ドイツ、イギリス、日本でロシア語を教えた経験のある彼女に 国によって学生のロシア語の学び方に違いはあるかと質問が出たところ、「ドイツ人とアメリカ人は 授業料を払ったら“もとを取ろう”と言う感じで勉強しますね。イギリス人と日本人はあまりガツガツしません。授業中もいねむりしたり、携帯電話でメールしてたり、、あら、そういえばどちらも島国ですよね。それで共通点があるのかしら?」というお返事でした。
服部 記