フルーティストは語る アントニオ・ドゥバトーフカさん
11月3日(水)にフルーティストのアントニオ・ドゥバトーフカさんをゲストに迎えて久し振りのロシア語サロンが開催されました。ベラルーシ出身者らしからぬ「アントニオ」という名前の由来や音楽教育のことについての短いスピーチの後 参加者からの様々な質問に丁寧に答えてくださいました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私は一九七五年にベラルーシの首都ミンスクで生まれました。祖父母は二十世紀の初め頃に 当時はポーランドの領土だったベラルーシからアルゼンチンに移民したので両親はアルゼンチン生まれです。六十年代になって一家でベラルーシに戻って来たのですが 家ではずっとスペイン語で話していました。そんなわけで私はスペイン風の名前になり ロシア語とスペイン語のバイリンガルです。父は画家、母はエンジニアで二人ともまったく楽器は弾けないのですが音楽が大好きでした。私は5歳でピアノを習い始め 10歳にな
った時に母の助言もあってフルートを吹くことに決めました。両親は自分たちの夢を子供に託したのかもしれませんが 私も姉もフルーティストになりました。母はとても厳しくて小さい頃はフルートの練習が辛い事もありました。私は子供の頃から東洋や日本にとても興味がありました。空手や合気道などの武術にひかれて日本や忍者や侍についての本を沢山読んでいました。ですから「手裏剣」「鎖鎌」という日本語は子供の時から知っていました。十五歳の時に試験を受けてモスクワ音楽院附属の音楽学校に入学し その後モスクワ音楽院を卒業しました。卒業後すぐにアルゼンチンに渡り国籍を取得、その後スペインにしばらくいて さらに韓国に移り3年ほど住んでいます。私は様々な国を訪れてその文化に触れることが好きです。今まで住んだ国の中ではスペインが一番自分に合っていると思いました。言葉の問題もありませんし 生活のリズムやメンタリティが合ってくつろげるのです。
・ ・・・質問に答えて・・・・
外国語について:
ロシア語とスペイン語のほかに英語を話す。韓国語は少し勉強したが 相手によって様々に変わる敬語が非常に難しくて混乱してしまう。外国語の勉強は2ヶ国語めまでが難しくてそれ以降は楽になると思う。すでに覚えたが外国語の語彙や音に関連付けて覚えていくことができるから。それに外国語の勉強はけして損をすることのない自分への投資であると思う。言葉を学ぶ事によってその国の文化に触れることができるし 世界が狭くなってきている現代では最低2ヶ国語が使えるべきではないだろうか。外国語を上達させるには あまり教科書にこだわらず まずよく聞く事 そしてコミュニケーションをすること。百語しか知らなくてもなんらかのコミュニケーションは成り立つ。
音楽について:
尊敬するフルーティストはジェームズ・ゴールウェイ。音色がすばらしいと思う。ロシアの作曲家ではチャイコフスキー、ラフマニノフ、ショスタコーヴィッチなどが好き。最近はクラシックの演奏家がアルゼンチンタンゴを演奏するのが流行しているが 私もタンゴには興味がありピアソラの曲は好きだ。もともとバンドネオン(アコーディオン)で弾くための曲が多いのだがフルートも合うと思う。琴など日本の楽器にも興味があり いつか日本の楽器と合奏してみたいと思っている。仕事以外の時は 散歩したりスポーツしたり。
いわゆるポップス以外のものは あらゆるジャンルの音楽を聞いている。クラシックの演奏家、特にオーケストラの団員は休みの日にはあまりシンフォニーなどを聞かないものだ。
韓国について:
韓国料理の60%は辛い料理。最初はおいしく食べていたのだが やはり胃腸に合わないようなので最近はあまり食べないようにしている。韓国人は食べるのも酒を飲むのも速い。またぐつぐつ煮立った鍋から直接食べるような料理もあり 私は猫舌なので いっしょに食事をすると一人だけ遅れてしまう。ソウルには極東あたりからロシア人観光客が来るようで繁華街にはロシア語の広告が多い。またロシア人の演奏家のコンサートもけっこうある。但し映画や演劇は 商業ベースに乗らないものはなかなか上演されないので ロシア映画の新作などはなかなか見られない。インターネットがあるので情報を探すことは可能になったが。ソウルには英会話学校がいっぱいあり ホームページも外国語関連では英語に関するものが99%という感じを受ける。ソウルではロシア語を勉強する韓国人には会ったことがない。
嫌いなことわざは?
Не говори "Гоп", пока не перепрыгнешь.
事をちゃんとし終える前に「できた!」と言うな。
正しい事を言っているとは思うが 自分のポリシーには合わない。
ロシア語サロンに参加されたみなさん