第49回ロシア語サロン  2003.4.20
私の故郷ーベールガラド

                横山スヴェトラーナさん

 11世紀には現在のベールガラドにあった要塞はロシアの大公たちにとって大きな政治的意味を持っていました。かつてはベラゴーリエと呼ばれたこの地は多くの白亜の山と肥沃な大地、豊かな森と川があるので侵略者たちに狙われました。ここに築かれた要塞は南側の国境を守るものでしたが1240年にモンゴル人に破壊されました。16世紀の文献はモスクワ国家によるベールガラドの再建を伝えています。南側の国境を守るために多くの要塞都市が作られ防衛線が補強されました。1596年に北ドネツ川に聳え立つ白亜の70メートル以上もある絶壁の上に要塞が作られました。要塞は崖と川によって両側から守られ攻めにくいものでした。白亜の崖にあるのでこの町はベールガラド(白い町)と名付けられました。ベールガラドとクールスク、オスコルの町の建設は16世紀には重要な軍事的政治的な意味を持っていました。

 1612年にリトワニア軍に占領され、この町は焼かれ破壊し尽くされ、住民は情け容赦なく殺されました。町の再興はやっと1年後のことでした。今度は町は北ドネツ川の向こうに建設され、この地域は今日までスタールイ・ゴーラド(古い町)と呼ばれています。(私は幼い頃両親とともにそこに住んでいました。今ではそこは個人の住宅や大企業の一部があります。)要塞は以前のものより小さくなりましたがよく守られ、この要塞が完全に占領されたことは一度もありませんでした。

 1727年ピョートル大帝の命令によりベールガラド県が作られ、ベールガラドがその首都になりました。その後ベールガラドはクールスク県の一部となりましたが18-19世紀の間に町は宗教的政治的な中心となり、発展し続けました。町の郊外で白亜の採掘が始まりました。

 1766年4月には早春の炎暑、乾燥した風のある天候のせいで、町で火災が発生して町の中心部を襲い、二日間で殆どすべての家が全焼してしまいました。町は有名な建築家クバソフの新しい設計で再建されました。真っ直ぐな長い通りが直角に交差し、正方形のブロックを形作ると言うものです。これはサンクトーペテルブルグに倣ってロシアの町を建設するという新しい方針です。防火のために、町の中心は石の建物だけ建設するという命令が出されました。他の所では木の建物でもよいが土台を石にすることが命じられました。新しいプランを完全に実現するという事は出来ませんでしたが 今でも歴史的地区では この町並みが残っています。19世紀の旅行者の話によれば、町の建物は豊富にあった漆喰で白く塗られ、木々の緑と金色に輝く、教会の丸屋根とに囲まれて美しかったそうです。

 日本で花火を見ると私がうれしそうな顔をするせいか、よく「花火を見るのは初めてですか?」と聞かれます。ロシアでもよく花火を打ち上げますからそんなことはありません。特に故郷ベールガラドは花火でも有名なんです。大祖国戦争(対ドイツ戦争)の続いていた1943年7−8月にこの町は“クールスクの戦い”において壮絶な戦車戦の舞台となりました。そして8月5日ドイツ軍に勝利したのです。この勝利はクールスクの戦いだけでなくこの戦争全体においても大きな転換点となりました。そこで 1943年8月5日に(戦勝を記念して花火を上げるという古い習慣を復活して)ベールガラドとアリョールを解放したわが軍を称え、モスクワで花火が打ち上げられました。この戦争中、町がヒットラー軍から解放されたことを祝って花火が打ち上げられたのは これが初めてのことでした。それでベールガラドは「最初の花火の町」としても知られているのです。それ以来毎年8月5日は「市の日」になり花火が打ち上げられ、町の中心の革命広場には 多くの人が集まり様々な催し物があります。子供の頃新体操をしていたので私のグループもこの広場で演技を披露したことがあります。去年はたまたま8月にお里帰りができましたので ここで花火を見ることができました。すばらしいものです!

 歴史上最大の戦車戦と戦史上の重要な勝利によって私の町はロシア中によく知られています。ベールガラド市民はクールスクの戦いで斃れた数百万人の人々を称えて花火を上げるだけではありません。戦場となったプロハローフカの原に1995年大祖国戦争勝利50周年に「第3の戦場」という記念館が建てられました。(1380年の対タタール軍戦“クリコボの戦い”、1812年の対ナポレオン戦“ボロジノの戦い”についで3番目の重要な戦いであるという意味です)ここにはいくつかの建物がありその中のペトラパヴロ寺院は民衆の寄付だけで建設されました。戦勝記念の鐘楼は1998年に私も見たのですがとても壮大ですばらしいものです。2000年3月に三つのスラブ民族の国の指導者、プーチン大統領、ルカシェンコ大統領(ベラルーシ)、クチマ大統領(ウクライナ)が初めてこの地に集まり戦勝55周年記念式典に参加しました。ここではこれらの国々の人々が戦争で多くの血を流しています。三大統領はここでスラブ民族団結の鐘を鳴らしました。このニュースを私は日本の自宅のテレビで見ました。こんな遠くの地でテレビで故郷の地を見て 懐かしさとうれしさで涙が出ました。

 ベールガラドには「クールスクの戦いーベールガラド方面」のジオラマ博物館もあります。屋内の展示と屋外の展示がありますが当時の武器:戦車、大砲、ロケット砲(カチューシャ)、戦闘機などが展示されています。多くの人が訪れますがこどもたちは大砲に登ったりするのが好きです。私も子供の頃よくここに来て武器を見学しました。夫も1999年に来た時には 「カチューシャ」に触ってみましたし、去年は幼い娘たちも大砲やロケット砲に触って遊びました。今年はクールスクの戦いの戦勝60周年記念で大掛かりな行事が行なわれるので去年からその準備が進んでいます。その時にお里帰りできたらいいなと思っています。

 モスクワのクールスク駅から電車に乗るとグールスクの林檎園が途切れた後、ウクライナのひまわり畑が見えてくる前に緑の草原から白亜の山々が姿を現します。ここは今でも「ベラゴーリエ」と呼ばれその首都がベールガラドです。現在のベールガラド州はロシア中央高地の南西部、ウクライナとの国境にあります。穏やかな気候の丘陵地で森や川、草原に恵まれています。その70%は肥沃な黒土です。クールスク磁気異常分布地帯の鉄鉱石の80%はここに埋蔵されています。ここにはギネスブックにも載っている世界有数の製鉄所「レベジンスキー」があります。

 ベールガラド州は人口150万人で、質も量も最高級の白亜の産地であり世界中に輸出されています。首都ベールガラドは人口34万2千人でモスクワから695キロのところにあり工業、科学、教育、文化の中心地です。戦争や不況の影響はありましたが今は建設ブームで銀行や店やオフィス、住宅などができています。

 歴史地区ベルガローチナには多くの銅像などがあります。最近では教会が修復されたり新しく作られたりしていますが従来の景観をそこなわないように配慮されています。私たちの町が「聖なるベラゴーリエ」と呼ばれるのも当然です。

 教会のほかにここには多くの修道院もあります。ホルコフ・ツァレフ・ニコラーエフスキー男子修道院という洞窟にある修道院のお話をしましょう。ここは1620年に建設され144年続きましたが1764年に廃止されました。1995年にまた礼拝が再開されました。1996年の夏に私はピオネールの指導者として子供たちの一団をつれてここを訪れ大きな感銘を受けました。修道院の内部や僧房はすべて白い漆喰塗りです。びっくりしたのは外はとても暑かったのに内部はほとんど零℃だったことです。修道僧たちは麻の衣を着ただけで敷物もない白亜の床に座り、眠ったり、食事したり、祈ったりしていることを聞き、神のためにこんなにつらいことをしのぶ人たちがいるのに驚きました。

 この州の中心地であるベールガラドには主な文化施設が集まっています。1935年に劇場ができました。1954年創立のシェープキン記念国立ベールガラド劇団は1998年にはアカデミー劇団の資格を得ました。(ここで演劇の教育もできるレベルの高い劇団であるという資格)1999年には「ロシアへの窓」という全国コンクールで最優秀劇団に選ばれました。ふるさとにいたころは私もよくここへ通いました。今も恋しく思います。ミハイル・シェープキンは1788年生まれの農奴出身の俳優で40年間もモスクワで活躍した人です。プーシキンとは親しい友人で彼の回想録の一行目「私はクールスク州に生まれて、、」をプーシキン自身が書いたことでも知られています。シェープキンはロシアの芸術の誇りです。劇場前に彼の銅像が立っています。

 戦後の数十年 ベールガラドは常に変化してきましたが 特にここ2−3年は大きく変貌し去年帰った時は中心部の建物の半分くらいは新しく建てられたり改装されたりしていて驚きました。町はどんどんきれいになっています。今ではベールガラドは文化や産業の中心地で ロシアでもっとも美しく、ダイナミックに発展している都市のひとつです。2000年には政府によっておこなわれた「全ロシアでもっとも整備された都市」コンクールで第一位になりました。また2001年の同コンクールでは 市の運営が優れていることで名誉賞を受けました。

 ベールガラドはスポーツもとても盛んです。新体操や体操の有名な学校があり新体操のスヴェトラーナ・ホルキナはここに生まれて 今もここに住んでいて私たちの誇りです。また男子のバレーボールも強いチームがありロシア大業のチームはここのチームを選手が母体になっています。

 私も含めてベールガラド市民はこの町を愛しています。小さな町は退屈だと言って多くの人が大都市へ行きたがりますが私は静かで居心地の良いベールガラドが好きです。なんといっても子供時代、青春時代のすばらしい思い出がいっぱいですから。もし ロシアの南東部にいらっしゃることがありましたら ぜひベラゴーリエとその首都のベールガラドにいらしてください。