隣人をもっと知ろう 物理学者のヴェ
チェスラフ・ブダーエフさん
第四十二回ワンア語サロンは、ゲストにカザフスタ ン生まれ、キルギス育ちのロシア人ヴェチェスフ・プダーエフさんを
ゲストにお招きして二月二十四日に開かれました。お話のテーマは「ロシアの国民性−日本人とロシア人、これからもっと親しくなるためにはどうしたらよい
か」です。
ブダーエフさんは、国立ノヴォシビルスク大学物理学科を卒業。昨年六月、日本学術振興会の招きで来日。現在は名古屋大学
大学院工学研究科理工学専攻高村研究室の客員教授(専攻は核融合研究)を勤めておられます。
趣味は、釣り、旅行、異文化に触れることで、好きな和食は寿司だそうです。
来て見て違いに驚き
ロシア人の国民性に大きな影響を与えたのは、その気候と地理的条件です。つまり、厳しい気候のせいで、
農業をするために大変な労力を必要としたこと、東洋と西洋の問に位置したということです。また、ロシア
のキリスト教(ロシア正教)は自らの長所を大切にしながらも外国人に対して忍耐強く接することを旨とするものでした。
国と国との関係は、隣国についてどれはど知識を持っているかによって決まりますが、残念ながら、この知識はステレオタ
イブであることが多いのです。例えば、ごく普通のロシア人が日本という国に持っているイメージはこんなものです。
「日本の領土は狭く土地が限られていることが生活様式にも影響している。サムライ文化の伝統があり、男は荒々しい声
で話し、女は慇懃で弱々しい。ロシアとは平和条約を結んでいない。高い技術力。難しい言葉と文字」
実際に日本へ来てみると、このステレオタイブがみんな間違いであることがわかります。例えば、弱々しはずの日本女性で
すが、名古屋で大きなバイクにまたがった元気な女性たちを見かけます。来日したロシア人が感銘を受けるのは、日本の高い技術力よりもむしろ、日本人の礼儀
正しくて和やかな付き合い方、外国人を大切にすること、すばらしい自然と、その自然と触れ合う文化があることなどです。
ロシア人は中央アジアの遊牧民とは長い付き合いがあります。彼らがしばしば粗暴で狡猾な行動をとったことで、残念なこ
とに、ロシア人は、他のアジア人について知識のないまま、アジアの人たちを油断のできない隣人と見て用心するようになってしまいました。
しかし、ソ連時代になると中央アジアの共和国では、ソ連政府の方針で多額の資金を投じて集中的に工業建設が行われまし
た。これは植民地政策ではありません。これらの国では、都市が建設され、文化が生まれ、実
際に生活レベルが急速に向上し、人口が飛躍的に増えたのです。
交流の場をもっと増やして
ロシアからは工業建設のために数百万人のスペシャリストが送り込まれました。(私の祖父や父も)彼らの多くは、
この地に残ってこの国のために働きました。また、ソ連の最高レベルの大学には非ロシア人学生のための特別な入学割り当てがありました。ところが、九十年代
の危機の時代になると、これらの国々はロシアに背を向けるようになり、再びロシア人たちはがっかりさせられました。
数百万人のロシア人が難民のように独立国となった中央アジアの国から出て行かざるを得なかったのです。ロシア人は恨み
言も言わず 賠償も要求せず、自分たちが建設した国を出ていきました。
「百ルーブル持つより百人の友人を持てという諺が示すように、ロシア人は常に友人を求めます。日本にしばらく住んでみ
て私は、日本人の誠実さ、責任感、包み隠ししない率直さに感動し、ここにこそロシア人と真の友人になれる人たちがいると思いました。残念なのは、これまで
のところロシア人は日本の普通の人たちの生活や習慣をほとんど知らないということです。普通の人たちが交流する場を増やしていくことが必要だと思います。
日本人とロシア人がもっと親しくなれるようユーラシア協会の協力を期待します。