40回を迎えたロシア語サロン
シベリアの故郷を語る
S.クリモーヴァさん
ロシア語サロンも、ついに40回を迎え、その節目の集いが12月2日(日)、愛知民主会館で開かれました。今回は、シベリアのクラスノヤルスク市出身のスヴェトラーナ・クリーモヴァさんをゲストにお迎えし、故郷のクラスノヤルスクについてお話しいただきました。
クリーモヴァさんは、クラスノヤルスク大学を卒業後、モスクワ免疫大学の大学院博士課程を修了。今年8月来日し、現在は名古屋大学付属病院で研究生活を送っています。以下はお話の内容です。
クラスノヤルスクは、エニセイ河のほとりにある人口89万人の都市で、モスクワから約4千キロの所にあります。1628年、ここにクラスノヤルスクの名前の由来になった「クラースヌィ・ヤール」(美しい断崖)という名前の要塞が建設されました。
ロシア帝国のシベリア開拓の過程で人口が増えて村となり、1822年になってエニセイ県の中心都市になりました。1895年のシベリア鉄道が開通すると更に発展して、第二次世界大戦中には工業生産が7倍に増え、東シベリアの中心的工業都市になりました。
今では科学や教育でも有名で、50人以上のアカデミー会員や600人の博士、5000人の収支がここに住んでいますし、47の研究機関、12の大学、35の専門学校があります。また、市内には劇場が五つ、コンサートホールや博物館、美術館もあります。「処刑の朝」で有名な画家のスーリコフ、俳優のスモクトウノフスキーの故郷でもあります。
クラスノヤルスクは自然にも恵まれ、郊外にある「石柱公園」が有名です。これはエニセイ河の岸にそそり立つ自然が刻んだ美しい石柱群で、高さは百メートルもあります。
エニセイ河の水は冷たいので泳ぐことはできず、釣りもお勧めできません。水力発電所建設の際に水質汚染があり、ここの魚は当分、食べないほうがよいと言われています。
冬はかなり冷え込み、1月の平均気温はマイナス22度です。マイナス25度になると小さい子供たちは学校はお休みです。でもマイナス30度でもお店はすべて開いていますし、大人たちは仕事に出かけます。
今年の冬にはマイナス46度になったことがあり、さすがにそれは百年ぶりの寒さだったということでした。