第34回ロシア語サロン  2001.1.21

困難乗り越えた愛と信頼    中島ナジェージダさん

 新年(いや新世紀)初のロシア語サロン(第34回)が1月21日開かれました。ゲストは安城市にお住まいの中島ナジェージダさんです。ナジェージダさんは、ウクライナ共和国ハリコフ市出身。専門学校を卒業後、縫製工として工場に勤務していた折り、工場を訪れた日本人ビジネスマンと知り合って結婚。1989年来日。現在は小学校3年生と1年生の二人のお子さんのお母さんです。趣味は読書、編み物、おしゃべりだそうです。お話のテーマは「私の日本体験」。今回は日本人と結婚しているロシア人女性も数名参加され、色々な質問も出て、いつもとは一味違ったサロンになりました。

 私はウクライナのハリコフで生まれ、高校を卒業後、専門学校を経て、ある工場で縫製工として働いていました。ひょんなことから別の工場で働くことになったのですが、その工場にソ連全土から、そして日本をはじめ諸外国から専門家が招聘されました。その中に未来の夫がいたわけです。
 それは1987年のペレストロイカの頃でした。私や友人は日本人達の案内役となり、街や言葉の心配がいらないサーカス、フィギュアスケートなどを見に行って親しくなりました。その時に結婚を申し込まれてのですが、当時は、外国人との結婚は大変でしたし、伝統も風習も違う国へ行くことに不安があり、真剣には考えられませんでした。
 未来の夫はロシア語を勉強し始め、1989年、私は彼の招待で初めて日本にやって来ました。彼の両親に会い、日本でやっていけるかどうか試してみるためでした。彼の母は、まるで本当の母のように暖かく私を迎えてくれました。
 私は彼に「私と結婚したかったらロシア語を勉強して」と言ったので、この頃には辞書を使いながら何とか意志疎通ができるようになっていました。この時は一ヶ月滞在したのですが、日本が大変気に入り、彼の家族ともお互いに気が合いました。私が帰国する時には、彼の母は泣き出してしまったほどです。
 それから色々な困難はあったものの、私たちは結婚し、その年の12月末に再来日しました。でも初めての日本のお正月には本当にがっかりしました。ウクライナでは新年は家族や友達が集まり、ご馳走を囲んで賑やかにお祝いします。日本では、お正月はひっそりとしていますよね。今でもやはり、お正月にはウクライナが恋しくなります。冬の日本の家の寒さや夏の耐え難いほどの蒸し暑さにも苦しめられました。
 来日後、日本語を勉強しましたが、なかなか覚えられませんでした。でも、夫のことはよく理解することができました。愛し合っている二人なら、目と目を見交わすだけでお互いの言いたいことが分かるものです。
 日本語は耳から覚えました。テレビも見ましたし、娘が生まれてからは公園に出かけて日本人のママ達と話をするようになり、だんだん語彙を増やしました。
 両親とは6年間同居しましたが、母が料理や買い物のことなど多くのことを教えてくれ助けてくれました。4年前、安城に引っ越しましたが、免許を取ったのであちこちに出かけるようになりました。豊田の日本語サロンに通ってボランティアの先生の指導で漢字の勉強にも真剣に取り組み、言いたいことが何とか日本語で言えるようになりました。今、娘は小学校三年生で、私たちは一緒に勉強しています。
 国際結婚には大変なことが沢山あります。でも、そこに愛と信頼があるならば、どんな障害も克服していくことができると思います。