キルギス旅行記の前・キルギスを知るきっかけ
まず最初にキルギスという国を知ったのは、数年前観たテレビ番組からだ。 「日
本人とそっくりの顔立ちをしている」という大きな文字のテロップと、テレビの画面に映し出された、私たちと非常によく似た顔立ちをした人たち。世界にはこ
んな人たちがいるのか、なんてぼーっと見ながら思っていた。その時はそう熱烈に興味を持ったわけではないけれど、それでも、どこか私の中でずっと残ってい
た。 そ
れから長い間興味は薄く抱いていたものの、特にこれといって特別な機会があるわけでもなく、またこちらから探すこともなく、淡々と日々を過ごしていた。む
しろ私はトルコに夢中になっていた。しかしそれでもどこか頭のほんの片隅にあるキルギスという国は消えず、後に私とキルギスを結び、実際にキルギスに訪れ
るきっかけを作ってくれたのは、去年の夏に行われたトルコでのサマースクールだった。 ト
ルコで最初に見かけたのは、サマースクールの一環としてイスタンブールから2時間ほどで着く島に向かう船の中だった。若く、端正な顔立ちをした男の
子だった。じっとひとりで片隅に座っていたのが印象的で、きっと彼が誰かと和気あいあいと話していたらきっと気付かなかっただろう。明らかにアジア寄りの
顔立ちをしていたということや、誰とも話さない様子から、失礼ながらあまり言語に長けていない、あるいは言語を使って交流し慣れていないように見受けられ
たので、私の知っている日本人以外に、日本から来ていたっけ…?なんて思いながら何となしに見ていた。しかし直接的な接点はなかったので、特に話しかけた
りすることはしなかった。 あ
る日、サマースクール全体のイベントで、皆で振るようにとトルコと自分の国の国旗を一つずつ配布された。私は日本とトルコの国旗を手にした。
す
ると彼らは、「〜スタン」と言う。上手く聞き取れないが、’なんとかスタン’と言っているのだけはわかる。「カザフスタン?ウズベキスタン?」と思
いつく限りの似たような名前をした国を並べ聞く私に、彼らは何度も答える。「クルグズスタン。クルグズ、クルグズ」何度か聞いた後ふと思い当たる節が見つ
かる。発音が少し違うためすぐにはわからなかったのだが、彼らはしっかりと「キルギスタン」と言っていたのだ。まさか、と咄嗟のことで驚きすぎて声が出な
かった。信じられなくて、念のため「キルギス?」と確認のため聞くと3人揃って「そう!」とにっこり笑って頷いた。少しずつ、じわじわと頭で認識し実感し
始めると、やっと出会えたんだ、という感動で胸がいっぱいになった。私たちは自己紹介とともに握手を交わした。 実
際彼らのトルコ語はとても上手だった。後ほどまた説明することになるが、彼らのいる大学は、入学する前に大学に併設された学校で一年間トルコ語の習得を義
務付けられているそうだ。このことから、キルギスの彼が誰とも話さなかったのは、言語の問題ではなく単なる性格ということがわかった。 キ
ルギス語を母国語、ロシア語を公用語としている彼らとは、唯一の共通言語であるトルコ語で会話するしか手段がなかったので、私にとって非常に良い言語の練
習相手となった。話したいことは溢れるほどたくさんあるけれど事細かに話しつくせない、そんなもどかしさを感じながらも、通じた時の感動はひとしおであ
り、彼らとの時間を楽しむことが出来た。そしてまた人としてとても恵まれていると感じた。 私
はいつも思いがけないところで思いがけない人に出会う。またそれが旅の醍醐味でもあろう。 サ
マースクールが終わり、先にトルコを去る彼らに、「キルギスタンで会いましょう」と言ってお別れをした。その時にはすでに、私はキルギスに行くんだという
漠然とした決意のようなものを感じていた。 こ
れで私の材料は揃った。キルギスへの興味と、現地の友達。これだけあれば十分だ。キルギス語もロシア語も知らないけれど、勉強しているトルコ語と少し似て
いるらしいから何とかなるはずだ。この楽観的で浅はかな考えは、カザフスタンでのトランジット滞在含め、後にしっかりと反省することになるのだけれど。 そ
んな経緯で私が実際に初めてキルギスに訪れたのは、それから約半年後。それが3月のキルギス旅行となった。
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初め
ての中央アジア。初めてのカザフスタン。トルコからキルギスに旅行に行くためのトランジットとして、カザフスタンのアルマトイへと降り立った。空港に入る
とキリル文字の表示が目の前に広がった。 ロシ
ア語はもちろんのこと、現地の言葉なんてこれっぽっちも知らない。 そん
な私がなぜ中央アジアに行ってみようと思い立ったかというと、全く以て想像のつかない未知な国々、妙に感じる神秘性に惹かれてしまったからである。また、
趣味でトルコ語を学んでいる私にとって、トルコ語を起源とした言語がどのくらい似ているのか、どのように実際使われているのか単純に興味があったのだ。 私も
負けじと「日本のお金から、カザフスタンのお金に」とジェスチャーと共に一生懸命伝える。するとウェイターのひとりがあそこ、あそこと指をさして教えてく
れたので、礼を言うとみんなで手を振って見送ってくれた。 来て
早々、知らない異国でかなり緊張はしていたものの、素朴で人懐っこい彼らのおかげで私は少しリラックスすることができた。 無事
に換金することができたと安心した私は、市内へ出かけようとバス停に移動した。
とに
かく、何か言わねば、何か主張しなければと、咄嗟に出てきた言葉はトルコ語。「私日本人です。でも今日トルコから来ました。空港でお金を換えたんだけど、
今ソムだと気付いた。でも私本当に何も知らなかった」と必死に伝えると、運転手は、すこし頷いて、手元に置いてあったコインを指さし、「ジョック?」と私
に言った。トルコ語で‘ヨック’というと「ない」ということを意味するので、なんとなく、意味を理解することができた。 私は
必死にジョック、ジョック、と言うと、また「何言ってんだ」とばかりに不思議な顔をしながら運転を続けた。 焦り
切った気持ちでバスの中を見回すと、私のすぐ近くに若い男の人が立っているのに気づいた。期待などするべきではないと思いながら、すがる思いで、すみませ
ん、と声をかけた。「英語わかりますか?英語、英語」とトルコ語で主張すると、予想通りわからなかったらしく持っていたスマホでグーグル翻訳を開いてくれ
た。 スマ
ホのマイクに向かって「英語わかりますか?」と聞くと、イエス、と即座に彼が言った。なんだ、最初から英語で話せばよかったと思うと同時にほっと安心し
た。よかった、なんとかなるかもしれない。 「君ど
こから来たの?」と聞くので、「日本から」と言うと、日本か、と興味深そうに言うと、「ええと…‘ありがとう’‘イチ、ニ、サン、シ…’、あと、サク
ラ!」と知っている限りの日本語を披露してくれた。よかった、よくわからないけれど、悪い人ではなさそうだ。 |
カザフスタン旅行記A カザフ人の青年に助けられる どうしてここに来たの?と聞かれたので、トランジットとして来たとい
うことと、運転手に話した通りのことを彼に話すと、「僕、今までの見てたけど、君はキルギスの人かと思ってた」と彼は言った。それくらい顔が似ていたので
ある。あとあと考えてみると、カザフ人にトルコ語で話しかける日本人なんて誰も想像つかないだろう。ましてやキルギスと隣国とはいえ国をまたいででも自分
の国の通貨を堂々と渡すキルギス人なんて、どんな奴だ。しかしそう誤解させたのは間違いなく私である。 とにかく知らない国で来て早々捕まりたくはない。どうしたらいいか
な?と聞くと、「大丈夫、何も問題ないよ」とハハハーとあっけらかんと笑って、目的地に着くやいなや私を連れて降りようとした。 「あれで大丈夫だったの?」と心配して聞くと、「大丈夫、あれは記念
にあげたんだよ」と言ってやっぱりあっけらかんと笑っているのだった。 「ここの人はあんまり正直じゃないんだ。たまに乗車賃払わない人もい
るしね」 それを聞いて、なんだ、運転手は本当に私を警察に突き出すんじゃな
く、ただ反応を弄んだだけだったのか。あのコインを指さして「ない?」と聞いたのは、乗車賃でもなくただ記念に欲しかっただけだったのか。いろんな考えが
後になって溢れだし、どっと一気に疲れが出る。しかしなんとか、無事に事が進んで良かった。この人に話しかけてよかった。 「でも、どう返したらいい?」と聞くと、「日本のコイン、まだあ
る?」と言うので、ありったけのコインを渡そうとしたら、「いや、そんなにいらない」と言って、100円玉、10円玉、5円玉、1円玉ひとつずつ選んで
1000テンゲ紙幣と交換してくれた。 それから、何か困ったら連絡して、と、電話番号と名前を伝え、じゃあ
ねと言って軽やかに去って行った。
さて、残ったのは1000テンゲ紙幣1枚と空港でもらった地図。文字
は一言も読めないので、モスクとか、目で見てわかるものを探すしかない。
雨が降っていたため足場は良いとは言えず、すれ違う人は、顔は似てい
るもののなんとなく威圧感を感じる。何となく怖い。でもオドオドしていちゃダメだ!と何ともないような顔を装ってすれ違っていく。 一番驚いたのは、カザフスタンの伝統楽器であるドンブラ、それからキ
ルギスの伝統楽器であるコムズの種類が異常に多く、ひとつの楽器にひとつの空間を使うほど展示されていたことだ。演奏者や時代によって、同じドンブラで
あってもスタイルや見た目が違い、残念ながら叶わなかったがぜひ音色の違いも聴いてみたいと思うほどだった。 展示場内では、バックグラウンドミュージックとして伝統音楽が流れて
おり、さらに私の想像をかき立てた。 博物館自体はとてもこじんまりしていたが、なかなか見応えはあり、中
央アジアの音楽についてもっと知識を増やした上で来ると尚のこと面白く感じられるだろうなと感じた。次に来る時には、もっと勉強してから来ようと心の中で
誓った。 入ったのは午前11時頃、私の他に、お客さんは2人のみだった。館内
のスタッフは、受付でお化粧直しをしたり、おしゃべりをしたりで、制服らしきものを着てカッチリと着こなしてはいるものの、各々のんびりと過ごしていたの
がどこか異国らしさを感じさせた。 クルト、クムス、カザフスタンチョコレート(現在は韓国の
メーカーに買収されてしまったが)数種。空港で間違えて換金されたソムを2000テンゲに換えたお金以
外、とにかく手持ちがなかったので、これくらいしか買えるものがなかった。 (「クルト」…ドライチーズを丸く固めたようなもの。飴感覚でなめて食
べる人もいれば噛んで食べる人もいるそう。とても塩辛く食べた後は必ず水が欲しくなる。のちにキルギスでも食べることとなる。) (「クムス」とよばれる馬乳酒。酸っぱく、発酵した香りと味が強い。と
てもじゃないけれど1ボトル飲むのは厳しい。)
夕方
になるにつれ、ビシュケク行きのフライトは近づいてゆく。 ビ
シュケク行きの飛行機の中、彼らとは次に会うことはあるだろうか、と少し寂しく思っていたのだが、驚いたことに、1週間後、ビシュケクからイスタンブール
に帰る途中の便がキャンセルされることとなり、アルマトイに一泊しなければいけなくなったのだ。その際にも空港へ迎えに来てくれ、非常に短い時間ではあっ
たが再会を果たすことができた。彼らと過ごした時間は全て数えても1日未満であったがその時間は非常に濃く、彼らと何かしらの縁があるのかもしれないと思
わずにはいられない出来事であった。 |
お金を受け取らなかったタクシー運転手 カザ
フスタンのアルマトイから飛行機で約1時間ほどで、キルギスのマナス空港に到着したのは午後6時だった。たったの一時間で違う国に行けるなんて最高だ、と
ひとり静かに感激していた。 不思
議とアルマトイに降り立った時ほどの緊張感は感じなかった。というのも、なんとなく中央アジアの雰囲気に慣れてきたというのと、友達が空港で待っていると
教えてくれたので、安心していたというのもあった。とはいえ、アルマトイのバスでいらぬ緊張をした疲れは少なくはない。 荷物
を取り税関の出口を通ると、トルコで出会ったキルギス人の友達が、ルームメイトを連れて待っていた。「久しぶり、元気だった?」と抱き合って再会をし、
ルームメイトと初めましての握手をする。 市街
へは、1時間弱ほどかかっただろう。空港から途中のバス停までの間、ミニバス(小型の乗り合いバ
ス)に乗り、その後は、友達が携帯でタクシーを呼び市内に向かった。彼女らがミ
ニバスの運転手にはロシア語を使い、タクシーの運転手にはキルギス語を使っていたのが少し不思議だった。 乗換
のバス停からゲストハウスまで乗ったタクシーの運転手は若い男の人で、トルコ語で話す私たちを見て興味を持ったらしく、「君たちはどういう関係なの?」と
友人に聞くと、彼女は「トルコのサマースクールで会った日本人の友達です」と答えた。もっとも、キルギス語はこれっぽっちもわからないため、トルコ語とや
や似ている単語を拾っているのと想像だけで、合っているかは定かではない。だが、運転手は少しトルコ語を話すようだった。彼はトルコ語で「1台のタクシー
の中に色んな言葉と文化が詰まってるね」と言うと、タクシーの中の空気が一気に和んだ。 私の
滞在するゲストハウスの前に到着し、車を降り後ろの荷台から荷物を取り出す。友人は運転手に、釈然としない顔で何かを言うと、運転手と少し言い合いが続い
た。どうしたんだろう?と思いつつ言葉がわからないのでおろおろしながら傍観していると、やがて話し合いが終わったらしく、運転手は弱々しく笑って運転席
に戻ると、車を発進させ去っていった。友人を見ると、彼女は明らかに動揺していた。心配しつつも、「どうしたの?」と尋ねると、彼女は困った顔をしながら
「あの人、運賃を受け取らなかったの」と言った。なるほど、それは動揺するわけである。 ![]() キルギスの国会議事堂 |
サモサと強烈に甘く濃い杏ジュースの夕食
スタッフの人は、スリッパに履き替えている私に、「どこから来たの?」と英語で聞いてきた。すると友達が、私が言うよりも先に「日本から来たんです」と、
キルギス語で答えた。彼女はそうなのね!と笑っていたので、理解したのかと思いきや、少し経つと私がいつまでも会話に参加しないことに、どこか違和感が
あったのか、それともやっと腑に落ちたのか、まじまじと私の顔を見て「あなた、本当に日本人なの?キルギスの人が日本人だと冗談を言ってるのかと思っ
た!」と、本気で驚いていたようだった。そういうスタッフの彼女は、私が小学生時代に通っていた学童保育の先生によく似ている。お互い様である。
一旦荷物を置きゲストハウスを出ると、夜のビシュケクを3人で歩き、街を案内してくれた。暖かくなりつつある3月とはいえま
だ少し肌寒かったが、風がとても気持ち良かった。
午後10時、人通りは少ないが全くいないというわけでもなく、飲食店は所々開い
ていた。歩いていると食堂を見つけたので、夕食をとることになった。
ここでの食事代や、実は空港から市街への運賃も、彼女たちは私に決してお金を払わせようとしなかった。申し訳ないと思いつつ、押し切って払うことは彼女た
ちの好意を蔑ろにしてしまいそうだったので、その通りに甘えさせてもらうことにした。
私が頼んだのはサモサという中に肉が詰まった揚げ餃子と、杏のジュース。特に杏のジュースは、蜂蜜でも入っているんだろうかと思う程、強烈に甘く濃く印象
的であった。後で調べると、バトケンという地方では、各家庭に杏の樹が植えてあるほどで、杏のパラダイスと呼ばれているんだそうだ。
食事をとっているその間も、ずっとタクシーでの出来事が気になっていたらしく「あの人、どうして運賃を受け取らなかったんだろう?」と、不思議そうな顔を
しながら話をしていた。どうやら、これはキルギスでも通常のことではないようだった。もっとも、初めてキルギスに来た私は「へえ、キルギスではこんなこと
あるんだ」くらいにしか思っていなかったのだが。
真相は今でもわからないが、学生だから不憫に思ったのだろう。実際、彼女らは大学生とはいってもそれよりも幼い顔立ちをしていたから、実際よりも若く見え
たのかもしれない。うん、きっとそうに違いない。
そんな幼げな彼女らは19歳で、私より3−4歳若い。しかし公用語であるロシア語、母国語であるキルギス語はもちろ
んのこと、大学では入学前に1年間の学習が必須であるトルコ語を話すだけでなく、プライベートレッス
ンで放課後英語を習っているというのだから驚きだ。 |
一方彼女のルームメイトはウムタイという名で、ヒジャブ(イスラム教徒
である女性が被るスカーフ)をかぶった、東洋的で優しい顔立ちをしている女の子だ。きっとヒジャブ
を脱いだら日本人と見分けがつかないだろう。 彼女らと食事と共にしばし談笑した後、再び夜のビシュケクを歩く。その
後ゲストハウスまで送ってもらい、彼女らがミニバスで大学へ帰って行くのを見送ってその日は終わった。 その次の日、マリナは大学が終わるとゲストハウスまで迎えに来てくれ、
一緒にビシュケクを散歩してくれた。なんと彼女の通っている大学は、私がキルギスに滞在する週はまるっと試験期間だったのだそうだ。そのため、いつもより
学校は早く終わる。だが気を抜けないに違いない。私は、なんという時に来てしまったんだと後悔したが、それでも彼女たちは私のために時間を割いて会ってく
れたことに、少なからず感謝する。 ビシュケクは、歩いてすべて周れてしまうのではないかと思うほど小さい
街であった。交通手段として地下鉄はなく、あるのはタクシー、ミニバス、バスのみ。バスは中国から輸入された中古車で、堂々と中国語が書かれている。全て
がのんびりしていて、一度逃すと少なくとも15分は来ない。ミニバスは10ソム(15円程)、バスは8ソム(12円程)と若干安い。
ミニバスは小さく収容人数は少ないが、本数は多くバスよりも早く目的地に着く。やっかいなのはミニバス1台1台に番号がつ
けられており、目的地に行くためには番号をいくつか覚えておく必要があることだ。ひとつひとつ覚えるのは地味な工程だが、そうでなければ、もっと早く目的
地に到着できたところを、1つの番号しか知らないとより長く待たなければいけない。 一方バスは、比較的沢山の人が乗車でき座れる代わりに、本数は少なく停
留所が多いため着くのが少し遅い。ミニバスは乗車する際に運賃を払い、バスは降車時に払う。タクシーは言わずもがな他の2つよりも運賃は高いが快適に過ご
すことができる。といっても世界で一番物価の安い国キルギス、タクシーの運賃でさえも大した額ではない。タクシーを選ぶリスクといえば、外国人だからと通
常より高い運賃を請求されることくらいだろう。しかしもちろん、前に述べた運転手のような例外的に優しい運転手もいる。 ビシュケクを歩き思ったことは、まず想像していた場所とはかなりかけ離
れているということだ。そもそも、中央アジアに対して具体的な想像がつかなかったというのも事実であるが、思ったよりずっと素朴で、シンプルだ。草原に並
ぶ移動式家屋であるユルタを漠然と思い浮かべていたのだから、実際の街の様子を見てそう思
うのも無理はない。 旧ソ連を連想させる建物が並んでおり、とてもじゃないが「インスタ映
え」するような風景ではない。窓ガラスが圧倒的に少ないため、店外からは店内の様子は見えないし、全く読めないキリル文字は相変わらず私を圧倒するし、さ
らに二重のドアが閉鎖的な空間を醸し出している。トリプルパンチだ。入るだけなのにだいぶ勇気と体力を削がれる。なのでひとりで入る時は何回か店の周りを
徘徊し、店内を窺いつつ「行くぞ、行くぞ」と決意を固め思い切って中に入る。ばかみたいだがそうでもしないと、本当にどこにも入れないのだ。これでよくひ
とりで旅行ができたものだと呆れてしまう。しかし一度入ってしまうと次からのハードルは格段に低くなるので、そうなればこっちのものだ。しかし残念なが
ら、結局合計1週間キルギスで滞在したものの、私にとっては一人で道を歩くことさえま
まならならないまま帰ることとなる。 ![]() キルギスの名産品・フェルトの人形 |
キルギス旅行記C キルギスタ ン・トルコ・マナス大学へ 1週間滞在した中で、トルコで出会ったもうひとりのキルギス人の友達と会うこ
とができた。 日本人
以上に日本人のような顔立ちをした彼女の名はジャルクナイといい、恋愛やメイクに一生懸命な今時の大学生だ。 彼女
は、前回登場した青い目をした友人マリナやウムタイと同い年で、同じ大学に通っている。彼女らの通っている大学はキルギスタン・トルコ・マナス大学という
トルコ政府が建設した大学で、実際その中から選ばれた5名の生徒がトルコのサマースクールへ来たそうだ。その中にマリナ、ジャルク
ナイ、そして大分前に登場した無口の彼キリッチベックが含まれている。 その大
学での共通語はキルギス語とトルコ語である。調べてみると、キルギス屈指の優秀な大学なのだそうだ。トルコ政府から全般的に支援を受けており、授業料は完
全無料。しかし授業後のレッスンは有料とマリナは言っていた。 大学自
体は4年制だが、学年が始まる前に一年間トルコ語習得のための授業を受けることが必須だそうで、それを含めると合計5年の大学生活ということになる。生徒
はキルギス国内のみならず、ロシアやカザフスタン、ウズベキスタン等旧ソ連の国々から来た学生も多く、はたまたインドや中国からの学生もいるんだそうだ。
残念ながら日本人の情報は聞いていない。キルギス国内からは、ナリンやオシュなどの地方から来ている生徒も多くいた。授業は朝9時から夜5時まで毎日揃って
おり、圧倒的に試験の数から、勉強量が多い。しかし彼女らの言うところ、この大学と比べてあまり忙しくない大学もあるそうなので、やっぱりここはトルコか
らの支援ということからか、教育システム自体が違うのかもしれない。 そんな
わけで今回、彼女たちの力を借りて、キルギスタン・トルコ・マナス大学に潜入することができた。それがキルギスに来て3日目のことだっ
た。
ミニバ
スが来たので、運賃とお姉さんが書いてくれた紙を運転手のおじさんに渡す。30分ほど、乗り心地の悪いミニバスに揺られながら、態勢を崩すまいとしっかり
と車の端の取っ手につかまりつつ外の様子を見回していると、いつのまにか大学の前に到着していたのか、運転手が声をかけてくれた。他の若い学生らしき人も
何人か降りて行ったので、後を逃すまいと急いで飛び降りる。周りには小さなファストフード店が道端に数店並び、その道の向こう側には大きなモスクがそびえ
立っていた。その奥には、学校らしき門がある。 自分も
生徒の一員かのようにスタスタと足早に交差点を歩く。マリナからは学校外の人は立ち入り禁止と聞いていたので、どうか誰も気づかないでくれと切に願いなが
ら。
とは
いっても、大学の構内など知る由もないのでしばし門のあたりをうろつかなければいけなかった。何か良い目印は、と見回すと先程の大きなモスクが目に入った
ので、モスクの近くにあるベンチに座ることにした。座っていると、小さな子供と母親の親子連れや、おじいさんが散歩している姿が見えたので、きっとモスク
までは立ち入り禁止ではないだのろう。 しばら
くすると友人ジャルクナイから電話があり、モスクにいることを告げると10分ほどで落ち合うことができた。彼女は学校を一緒にまわり、ルームメイトを
紹介してくれた。そして私は、ルームメイトを含んだ彼女ら5人と共に夜の大学を探検することとなる。 大学の
食堂で夕食を食べ日が暮れてきた頃、芸術学部の建物を見てみたいという私の希望でそこへ向かうことになった。キャンパスが広いからかこれといった用がない
からか、彼女たちも建物の中には入ったことがないという。中は灯りがついていない。ひそひそ声で言葉を交わしながら徘徊する。私たちの他に音を立てるもの
はなにもなかった。一階は美術学部の部屋なのか、大きなキャンパスや絵の具、木工道具がが置いてあるのが見えた。 ひっそ
りと階段へ上がると、どこからかかすかにピアノの音が聞こえたのを合図に、私たちは顔を見合わせ、嬉々として音の先は一体どこだと、見える限りの視界で探
す。階段へ上がった二階の奥へするすると入っていくと、練習室であろうドアの並ぶ先に、灯りが見えた。あそこだ。近づくにつれピアノの音と共に歌声も聞こ
える。 私たち
は灯りの見えるドアの前に集まり、恐る恐るドアノブを回し、ドアの開いた先を覗く。その先には、幽霊でも見たような顔をした男性がひとりピアノの前で座っ
ていた。 ![]() 大学近くのモスク |