再び朗読の効用について
    好きな文章を繰り返して
           誤りを恐れず、腹を括る

 ロシア語の朗読は苦手だが、ロシア人とベラベラりたい、会話をしたいという学習者にしばしばお会いします。しかし、これは木に登って魚を獲りたいとうのと同じほど矛盾し、無理なことです。

 私ども日本人は、従来外国語を学習する時、文法や語句の解説を詳しく聞いて、和訳すれば事足れりとする傾向が強かったのではないでしょうか。一旦、内容が解かり、解釈が終わると、後は原文を見向きもしない(と言えば言い過ぎかもしれませんが)という学習をしてこなかったでしょうか。

 永年、ロシア語教授に携わり、ロシア文学会長も務められた故和久利誓一先生(東外大名音数授)は、朗読の重要性を説き、辞書を引いたら、まず力点を確認した後、語義を調べるくらいの態度が必要だとさえ述べておられます。

 よく新聞の英語教材広告などで、苦労しないでも楽に英語が身につき、これさえあれば大丈夫というものに出くわします。しかし、私の意見では、あれは嘘か詐欺に近い誇大広告です。苦労しないで身につく外国語など無いと信じます、しかし、効率的な学習法は必要です。そして、その有力な方法の一つが朗読なのです。

 昔のギリシャ叙事詩に憧れ、その真実性を疑わなかったドイツの毛皮商シュリーマンは、この方法でロシア語を含む十数か国語を身につけたばかりでなく、トロイの遺跡の発掘に成功して、少年時代の夢を果たしました。彼が習得したのは、まず現代ギリシャ語です。富豪となった彼は、ギリシャ人を雇い入れます。そして適当な本を選ぶと、まずその内容を説明させます。後は、ひたすら彼の後について音読するのです。

 こうして一冊の本を暗誦するまで音読を続けました。こうしてマスターしたギリシャ語が、発掘作業の際の有力な武器となりました、家で彼が勉強した時、家族の人達は、喧しくて迷惑するほどだったといわれ、シュリーマン方式という学習法が命名されたはどです。

 私自身の経験からも、無意識に好きでやった音読が最初の留学の時、たいへん役にたち、ロシアでの生活により早く適応することができたように思っています。 音読は「人目」 (耳?)を気にする私たち日本人には、適当な時間と空間さえあれば、一人でもできる、最も相応しいやり方です。考えてもみてください。平易な文章を正しく明瞭な(ロシア人の分かる)発声で音読できないで、どうしてベラベラ会話することができましょうか。「よそゆき」の時だけちゃんとやるんだ−と言っても、衣服ではあるまいし、そう簡単にできるものではありません。

 しかし、音読の効用は他にもあります。普段の心掛けが現場に臨んだ時の絶大な自信と度胸となって発揮されるのです。普段は「完全」を目指して学習し、いざとなれば 「誤りを恐れず」腹を括ることです。

 みなさん、騙されたと思って、内容のよく分かった大好きな文章を何度も何度も繰り返し音読してみてください。後は「現場」に臨んで「腹を括る」ことです。いや、その度胸を養ってくれるのも音読なのです。

    木曜ゼミ担当
     丹辺 文彦